【7日目】 ペリチェ〜ロブチェ
The 7th Leg "Pheriche〜Lobuche"
今日もまた午前7時起床。室温、氷点下4.2度。寝袋から這い出し恐る恐る立ち上がってみるが、驚くことに頭痛はすっかりなくなっていた。さすがはバファリン、「半分は優しさでできている」だけのことはある。しかし下痢のほうは一向におさまる様子はない。これは引き続き心配の種になりそうだ。
トゥクラのロッジにて |
頭痛がおさまったので、この日はロブチェ(Lobuche)を目指すことにした。午前8時35分、昨日に続き、抜けるような青空のもと出発。ちょろちょろと流れるロブチェコーラという川沿いに、フラットな登り道を進む。
このフラットな道を1時間半ほど歩くと、急に坂の傾斜が角度を増すところに出くわす。これを斜めに折り返しながらゆっくりと登ると、ロブチェコーラを渡る小さな橋に辿り着く。渡ったところがトゥクラ(Dughla)だ。午前10時30分。標高にして4,620メートルまで上がってきたことになる。ここでは太陽光のもとチャーを飲んで一息ついた。砂糖たっぷりのチャーが体に染み渡るようだ。
|
転げ落ちてくるなよ…… |
トゥクラからは、この行程「第三の難所」のスタートだ。氷河が運んだ土砂が堆積しダムのようになっているところで、一般的に「モレーン」と呼ばれる地形。高度差は400メートルに満たないものの、何せこの標高。ちょっと気を抜けば一気に高山病にやられるだろう。
大きな荷物を背負いながらも平然とした顔で降りてくるヤクを横目に、息をゼエゼエいわせながら一歩一歩登ってゆく。中味が水分を吸って重くなったバックパックが重くのしかかってくる。すでに14、15キログラムにはなっているだろう。
|
大荷物を背負って黙々と登るポーターたち |
|
立ち並ぶチョルテン。mayugeも立ち止まり黙祷を捧げた |
死ぬ思いでモレーンを登り切ると、そこには石が積み上げられた塔のようなものが並んでいた。これは、過去にエヴェレストで命を落としたシェルパたちを弔うために建てられた、石製の「チョルテン※」なのだという。
標高5,000メートルに満たない場所でこれだけ大変なのだから、8,850メートル超といったら一体どうなってしまうのだろう。我々素人には、とても想像もつかない過酷な世界なんだろう……。
【用語解説】 チョルテン(Chodrten)
チベット仏教の仏塔。中には真言が刻まれたマニ石が奉納されている。
|
|
氷河の上を横断。この氷が今まで見てきた川の、水源なのだ |
チョルテンを過ぎると、目の前には氷河が現れる。氷河は、まっすぐに横たわっていた。表面には大小様々な岩が転がっているので、それが氷河だとは一見分かりにくい。
だが、紛れもなくこれは「氷の河」だ。横断するときに、その様子を近くで見ることができたのだが、氷と化した白い雪の固まりが、あちらこちらで顔を出していた。その氷と岩の間を縫うように、チョロチョロと水が流れている。その水は不思議な緑色だった。
しかしこの小川や岩も、表面を覆っているだけに過ぎない。その下にある巨大な氷の塊こそが、ここでは本当の「河」なのだ。こんなものが「流れている」とは、地球もなかなかスケールが大きい。
上を横切った後は、今度はその氷河を右手に見ながら土手の上を歩くコースになる。緩やかな上りの土手を約1時間ほど歩くと、本日の目的地ロブチェ(Lobuche)に到着だ。標高4,920メートル。ここまで来ると、さすがに酸素が薄い。なぜそう思ったかというと、靴ひもを結び終えて立ち上がったら、それだけでクラッときたからだった。
|
ロッジの目の前にはヌプツェ(7,861メートル)が聳え立つ
|
こっちの方がイケてる |
我々が泊まる宿の名前は『SHERPA LODGE』(写真上)。ちなみにお隣の宿は『ABOVE
THE CLOUDS LODGE』(写真左)だ。なかなか粋な名前だ。
|
下の段をキープだ |
この日はプライベートルームが満室のため、ドミトリーで寝ることになった。そこですかさず下段のベッドを確保。やはり何かと便利なのである。
|
伸びなんかして、どこ行くの? |
午後2時35分、高度順応のため近くの丘に登る。お供は黒いワンコだ。ロブチェに4、5軒あるロッジのいずれかで飼われているらしい。僕が斜面を斜めに横切るようにして登っていたら、こいつは「逆直滑降」で駆け上がってきた。化け物か、お前は。犬には高山病はないのだろうかと感心しながら、しばらく一緒にお散歩である。しばらくは無言で着いてきていたが、飽きてしまったのか、今度は普通の直滑降のように駆け下りていってしまった。ご飯の時間にでもなったんだろうか。
|
ワンコを見送ると、またゆっくりと歩を進める。すると上から見覚えのある顔が降りてくるではないか。ペリチェの宿で一緒になったドイツ人の男の子だ。この日も毛糸の帽子をかぶっていた。しかし前回会ったときと打って変わって、彼はとても元気そうだった。
「今日は顔色がいいね」
そう声を掛けたら、彼はうれしそうに言葉を返す。
「頭痛はもうなくなったよ。この上の景色も素晴らしかった」
よかったよかった。
やはりここまで一緒に来たからにはみんなでカラパタールの頂上に立ちたいものだ。彼は杖をつきつき軽快に坂を下りていった。
振り返るとロブチェの村がはるか下に。奥に横たわるのは氷河だ |
|
いよいよ5,000メートル台に突入 |
午後3時、丘の頂上に立つ。標高にして5,050メートル。Protrekのこの高度表示を見ると、なんだかとてもうれしい気分になった。
とうとう大台を超えたぞ。
俺は今、標高5,000メートルの地点に立っているんだ。
「だから何なんだ」といわれればそれまでなのだが、とにかく最高に気分がいい。
|
うれしさ余って、思わずセルフタイマーで記念撮影 |
その後霧が立ち込め、またまた「発泡スチロール雪」が降り出したところで丘を下りた。
この日の夜、ナムチェで会ったドイツ人のおじいさんとロッジの食堂で再会。我々より一足早くナムチェを発っていた彼は、この日カラパタール山頂に達し、エヴェレストを目にしてきたところだという。天候はどうだったかと尋ねると、おじいさんは眉をクイッと上げてから一言。
「Perfect!」
羨ましいよ、もう。でもよかったね、爺さん。無事登ることができて。
さて僕もいよいよ大詰めだ。夕食後はガイドと打合せを行う。残り日数をどのように使ってカラパタールへ達するか。
翌日3月28日の朝早くにロブチェを発って、一気にカラパタールを目指すのがA案。しかしこの場合、カラパタール頂上に達するのが午前10時から11時になってしまう。午前中早い時間でないと、エヴェレストには雲がかかってしまう可能性が高い。
B案は、28日にはカラパタールには登らず、その麓のゴラクシェプにもう一泊。翌29日の早朝スタートし、午前7時から9時の間にカラパタール登頂を目指すというもの。これならエヴェレストが雲で隠れてしまう可能性は低い。加えてこの案だと、28日の午前中に到着するゴラクシェプに荷物を置いて、高度順応がてら「エヴェレスト・ベースキャンプ」(登山隊のキャンプ)に行く時間ができるというメリットがつく。しかしここロブチェよりさらに標高の高いゴラクシェプ(5,160メートル)での宿泊は、体に変調をきたす恐れがある。
実はこの二案、僕が提案したものなのだ。ガイドは基本的にプランニングしない。他のガイドは知らないが、とにかく僕が雇ったドゥンムラ君は、あまり「計画」をしない性質らしい。そこで僕は、紙にそれぞれのパターンを並べて書く。その上で、僕の最大の目的は「カラパタールからできるだけクリアなエヴェレストを望むこと」だと条件を与えた上で、ドゥンムラの考えを聞いてみた。プロのガイドとして、君はどちらを選ぶべきだと思うかと。すると答えは「B」。なるほど、やっぱりそうか。でもそれって、素人でもいうよね、きっと……。明らかというか、なんというか。がんばれ、ドゥンムラ。
スケジュールが決まり、最大のヤマ場に備えて早めにベッドへ向かう。ドミトリーのベッドの両隣さんたちも、すでに眠っているようだ。今回のトレッキングで初のドミトリー。各国からやってきたトレッカーの汗の臭いが混ざり合っている。けっこうきつい。そういえば、俺も丸三日間シャワー浴びてないな。自分であちこちをクンクンしてみる。自分的には大丈夫。寒さと乾燥した空気のおかげだろうか。それにしても、ここロブチェまで登ってきた女性陣たちもノー・シャワーで頑張っているんだから大したものだ。ここまで来ると汗がどうのこうの言っている場合ではなく、みんな頭の中はカラパタールに立つ自分の姿で一杯なんだろう。もう少しだ。(つづく)
|
2001年3月27日(火)
Tue. Mar.27 '01 |
|