mayuge のヒマラヤ・トレッキング日記 Trekking TOPITINERARY<pastnext>
【4日目】 ナムチェ・バザール〜タンボチェ
The 4th Leg "Namuche Bazar〜Tengboche"


 午前7時起床。昨夜の星空がきれいだっただけに、今日も空は快晴。しかし明け方の冷え込みは今までよりさらにきつく、部屋の窓についた水滴がすっかり凍ってしまっていたほどだ。


斜面を利用した広場でハートが行われる
 この日は出発を前に、ここナムチェで毎週土曜日に開かれるという「ハート(定期市)」を見に行った。

 ハートにはクーンブ中のシェルパが集まり、生活物資を仕入れていくという。街道沿いの商店や各村のロッジで我々が口にするものなども、ここで仕入れられたものなのだとか。

 売り手には「いかにもチベット人」という人の姿が見られる。男性なのだが、長く伸びた髪を三つ編みにして、赤いはちまきのような布で留めている。ヒマラヤの強烈な紫外線を浴びているせいか顔は真っ黒に日焼けしている。彼らは地べたにフリースなどの衣料品をダラッと並べて客を待つ。ずた袋から出して置いてあるだけだし、その衣料品もちょっと汚かったりするので、知らない人が見たら売り物には見えないような状態だ。

 ここにはチベットなどの北から以外にも、カトマンドゥやそのさらに南、インドから重い荷物を背負って何日もかけてやってくる商人もいるらしい。

衣類の横で生肉を売っていたりする
 売られている品は、衣料品に限らず、石鹸、シャンプー、電池、ネジなどの日用品から、缶飲料、調味料、米、生肉、果物などの食料品まで多種多様。生きた鶏も籠に入って売られていた。

 驚くのがダイナミックな肉の売り方。売り物の肉隗は、地面に敷かれたシートの上に、まだ元の動物の形が容易に想像できるような状態で無造作に置かれているのだ。客がなにやら現地語で注文すると、秤などは使わず超アバウトにナイフでザクザク切って渡していく。

 ハートにはシェルパの客に混じって我々観光客も見物に来ているのだが、ヨーロピアンのおばちゃんなどはそれを見て顔をしかめていた。欧米人も毎日食べているのにおかしいといえばおかしな話だが。

 しかしどこの国へ行っても、市場というのは人間の生命力を改めて感じるところである。過去様々な苦難があっても絶滅せずに、この地球に今こうして我が物顔で生きているんだから、人類ってのは相当しぶとくできているに違いない。


おい坊主、ナイキキャップがカッコいいぞ
 ひと通り見学し終えてハートの会場を出ようとすると、昨日、村民共同の洗い場で出会った少年と出くわした。向こうも僕のことを覚えていたようで、照れつつも笑顔を投げかけてくれた。

 こちらの子供たちにはまだ純粋さが残っていてなんか嬉しくなってしまう。

 午前8時30分ナムチェ・バザールを出発。トレッキングマップによると、今日のルートも前々日と似ていて、前半はアップダウンがあるもののややフラット、後半が第二の難所、また高度差600メートル以上の急激な上り坂となっているようだ。そのため後半に備え、前半は意識してペースをセーブするよう心掛けて歩く。

 ナムチェを出て尾根の等高線をなぞるようなルートをしばらく歩くと、尾根の縁(へり)のところでエヴェレストが見えるところが何ヶ所かあった。その都度深呼吸しながらその姿を楽しむ。まだまだ遠くにあるが、姿が見えるとなんだか力が湧いてくるようだ。


低地のヤクより毛が長くなっているようだ
 するとどこからかカランカランというカウベルの音が聞こえてくる。「来たな」と思いつつ尾根の縁(へり)を曲がると、「彼ら」の姿が現れた。

 ヤクだ。このヤクたちは荷物を担いでいないところを見ると、これからナムチェのハートで買い込むものを積んで帰るのだろうか。

 午前11時、プンキテンガ(Phunki Tenga)着。ここで早めの昼食をとる。この後の急坂対策としてエネルギーをしっかり貯えておかねば。

 この休みを利用してガイドのドゥンムラとちょっとした話し合いの時間を持った。ナムチェを出てから、彼の歩くペースが速いと感じていたのだ。

「君は何をそんなに急いでいるのか」

 どうやらドゥンムラは、先に出発したキャイサに追いつこうと必死だったらしい。まいった。そんな感情で勝手なマネしてもらっちゃ困るな。プロなんだから、君は。

 どうせ今夜の宿泊地タンボチェで会えるだろうから、今そんなに急ぐないでくれよ。君のクライアント(mayuge)は、高山病にならないようペースをセーブしてるんだ。ついでに言っておくが、酔っぱらって女性の体に触るのは止めたほうがいい。当事者も嫌な思いをしているかもしれないし、周りも不愉快だ。いいかい、俺はそれなりに高い料金を払って雇った自分のガイドから、不愉快な思いをさせられるのは御免こうむりたい。

 ここまで言うと、彼は表情を強張らせつつもやっと理解したようだった。やれやれ、だ。


タンボチェのロッジ
 午後2時30分、タンボチェ(Tengboche)到着。標高3,860メートル、ほぼ富士山頂の高さだ。この日は『GOMBA LODGE』という宿に腰を落ち着けた。

 プンキテンガを出発したのが午後0時20分過ぎだったから、2時間以上かけて登ったことになる。休みを入れながらの「ゆっくり登坂」だったので、今のところ頭痛などの高山病の症状もない。よしよし、これで二つ目の難所も無事クリアだ。

 それでも道中巻き上がる土埃に悩まされた。さっそくティッシュで鼻の穴をこねくり回すと、やはり真っ黒。次の行程では、タオルを口と鼻のところに巻くなどしてみるか。またここで、うがいもしておく。

 熱いチャーの後は、楽しみだったシャワー。今回は前と違ってお湯を使うペースにかなり気をつけたため、最後にお湯が余った。これでひげでも剃っておくか。

タンボチェには立派なグンバ※がある
【用語解説】 グンバ(Gomba)
 チベット仏教の寺院。(地元の人の発音だと、ゴンバともグンパとも聞こえる)

 夜は相変わらずの退屈との闘い。わずかな灯りの中で日記をつけたり、何度も読んだガイドブックの切り抜きを読み返したり、隣に座ったトレッカーとおしゃべりしたり――。しかしどれもそんなには長持ちしない。そこで結局、どうしても早く床に就くことになる。健康のためにはいいのかな。

 ただ体調に関してひとつ気がかりなのは、やや下り気味の「腹」だ。昨夜ナムチェで寝る前に冷たい水を飲んでしまってから、どうも様子がよろしくない。今回の旅、南国の五ヶ国をまわっている一ヶ月半の間一度たりとも調子を崩すことがなかった「鉄壁の腹」が、ここへ来て悲鳴をあげはじめたのだ。ロッジの食堂に居合わせた別のトレッカーのガイドが、ミルクティー(チャー)は腹にいいと教えてくれた(ドゥンムラは何してるんだ!? 笑)。食欲はありすぎるほどだし、高山病ということではなさそうなのが救いだが。正露丸糖衣Aの活躍を祈りつつ、午後9時前には眠りについた。

2001年3月24日(土)
Sat. Mar.24 '01
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