mayuge のヒマラヤ・トレッキング日記 Trekking TOPITINERARY<pastnext>
【2日目】 パクディン〜ナムチェ・バザール
The 2nd Leg "Phakding〜Namuche Bazar"


 午前7時起床。昨夜床についてからなんと12時間。さすがに何度か夜中に目を覚ましたものの、寝ようと思えば寝られるものだ。でもちょっと腰に来るな。寝袋から這い出すと、ひんやりとした空気に軽く身震いする。室温7.3度。窓から外を見やると、空にはやや雲がかかっている。ただ、歩くには全く問題なさそうだ。

 朝食と厠でのおつとめを済まし、午前8時20分過ぎにロッジを出発。気温は13度にまで上がっていたが、まだまだ肌寒い。半袖Tシャツに長袖シャツを重ね着し、その上にゴアテックスのパーカを羽織る。これでちょうどよい感じだ。歩きはじめて汗をかいたり、太陽が出て暖かくなったりしたら、また調節するとしよう。


深い谷を分け入っていく
 この日もまずは、ドゥードゥ・コシ(Dudh Koshi)という川沿いに谷を歩いていく。パクディンの村を出るとすぐに鉄製の吊り橋があった。ガイドのドゥンムラによると今日は大きな吊り橋を五つ渡るらしい。谷の右側と左側を交互に進んでいくかたちになるようだ。

 高山病予防のため、「スースー、ハーハー」としっかり呼吸して酸素摂取に努めつつ、腰に下げた水筒の水をこまめに飲む。暑くなったら上着を脱ぐ。寒くなったらまた羽織る。こうして適当なアップダウンを繰り返しながら、土と岩と糞でできたトレッキングルートを進む。

 すると時折数人連れの子供たちとすれ違うようになった。洟を垂らした坊主頭のお兄ちゃんが、おかっぱ頭の小さな妹の手を引いていく姿は、実に微笑ましい。そうか、この時間は通学タイムか。そういえば平日だもんね、今日は。会社を辞めてから曜日の感覚がなくなってきているし、さらに今は山の中で情報が少ない。だから余計に感覚が鈍る。


ほらオラたち、写っとるけんね
 「でもいーもん」と思いながら道端のチョウタラ※で水を飲んでいると、坊主頭のコンビがやってきて珍しそうに僕の様子をうかがっている。シェルパの子たちはホントに日本人によく似ている。英語で話し掛けてみると、意味が分からないながらもなんとなく笑顔を見せてくれた。写真を撮っていいかとジェスチャーで示すと、やわらぎはじめていた彼らの顔にサッと緊張の色が走った。大丈夫、魂は抜かないから。結局サイバーショットの液晶をひっくり返し、自分たちの顔がモニターに映っているのが見えるように撮った。素直に、「嗚呼!!」と感動しているのがかわいい。顔は同じようでも、最近の日本の子供たちは液晶ぐらいじゃ驚きもしないんだろうな。
【用語解説】 チョウタラ(Chautara)
周囲を石で囲って段が作られ、荷物を置いて一休みできる街道の休憩所。
 座って水分を摂取するための休憩を、40〜50分おきに挟む。カメラに収めたいものが目についたときも、ちょっと立ち止まって腰のベルトに括り付けたサイバーショットを取り出し、カシャッとやる。これがまた体にとっては結構いいレストになっている気がする。


ネパールの国花、ラリグラス
 この日歩いたルートの標高だと、ラリグラス※も何度か目にできた。濃い赤もあれば、ピンク色もあり。このあたりはまだまだ緑がいっぱいだね。

【用語解説】 ラリグラス(Laliguras)
ネパールの国花とされる赤いシャクナゲ。ツツジ科の常緑高木で、3〜5月頃海抜2000〜3000mの緑の山を大きな花が赤く染めるさまは圧巻。

 チュモア(Chumoa)の村を過ぎると、谷へ向けて急激な下り。崖を降りるような感じで、ところどころ手をつかないと危険なほどだ。急坂を降りきると、小川に丸太でできた橋が架かっている。これはドゥードゥ・コシの支流のようだ。これを渡ると今度は急激な上り坂。息を切らし、額から汗を流しながらゆっくりと登る。しかし、この程度のアップダウンはまだまだ序の口らしい。ガイドブックによれば、この日のルートの最後には、カラパタール道中の「四大難所」といわれるポイントのひとつが待っているらしいのだ。


ジョルサレのチェックポイント
 先ほどの急坂の上はモンジョ(Monjo)という村。ここからは等高線をなぞるような、ややフラットな村道だ。

 そして午前10時40分、ジョルサレ(Jorsale)のチェックポイントに到着。ここから先が「サガルマータ国立公園」となる。一応、道を塞ぐように木製の門がたっていて、機関銃を持った兵士が木製のボックスの中に座っている。事務所でパスポートを提示し入園料を支払うと、日付入りの判が押された券を渡される。国立公園内をトレッキングし再びここに戻ったときに、この券を見せる必要があるらしい。なくさないようにしないとな。

 Protrekによるとここの標高は約2,800メートル。パクディンからは100メートル程度しか上がってきていないが、陽が陰っていることもあり、少しでも休むとブルッという寒さが背筋を襲う。そのため、ここで再びパーカを着込んだ。


マユゲも元気に吊り橋を渡る
 チェックポイントを過ぎ国立公園内に入ると、この日三つ目の吊り橋に差し掛かる。エメラルド色をした渓流を見下ろしつつ、上下にポンピングする橋を渡る。するとここにもヤクが通った痕跡を発見。ヤクもちゃんと吊り橋を渡るんだな。しかもこんなに揺れるところで用を足すとは……。

 吊り橋を渡りきったところがジョルサレの集落。数軒のロッジ兼食堂が並んでいる。そのひとつ、『EVEREST LODGE』で我々もちょっと早めのランチをとることになった。

 12キログラムを超える荷物を担いで歩いていることに加え、通常よりも意識的に多く呼吸をしてエネルギーを消費している。そのせいだろう、異常に食欲がある。そして食べたくなるのは、「白いご飯」。そこでこの日もダルバート※を注文した。

EVEREST LODGEのダルバート
【用語解説】 ダルバート(Dalbhat)
 ダル(豆のスープ)、バート(ご飯)、タルカリ(おかず)、アチャール(漬物)によって構成されるネパールの国民的定食。食堂のダルバートもお代わり自由に・食べ放題の方式が基本。

 ここ『EVEREST LODGE』のダルバートに添えられているタルカリは、スパイシーでなかなかの美味だった。ネパール料理の味付けは、基本的に薄味が多く物足りないときもあるのだが、この昼食は充分に満足できた。欲をいえばアチャールもついていて欲しかったが、山の中では贅沢もいえまい。
 食べ終わって熱いチャーで一息つくと、再び出発。ここジョルサレから先、今日の目的地ナムチェ・バザールとの間には、直線距離2キロメートル弱で高度差が600メートル以上という難所が待ち受けている。高山病にかかりやすいといわれる四大難所のひとつだ。休みと水分と酸素を、今まで以上に多く摂りながらゆっくりと登らねば。


マニ石の左側を通過
 途中の村のマニ石※で、通りすがりに一応「願掛け」をしてみたりする。いきなり高山病になりませんように……。

【用語解説】 マニ石(Mani Stone)
 チベット仏教の真言が刻まれた石。街道の集落入口付近などに積まれていることが多い。通過するときは時計まわりに右繞(うぎょう=身体の右側にくるように巡る)するのが礼儀。

 難所といわれるポイントは、噂通りの急坂だった。針葉樹が茂り、薄暗いトンネルのようになった「崖」だ。トレッキング道は、その斜面をスイッチバックしながら登るように作られているのだが、その道幅の中でも、さらに斜めに蛇行しながら登っていく。トレッキング道をまっすぐ上がるのさえ辛いのだ。酸素が薄くなり始めているのだろう。とにかく息が切れる。

大活躍のCASIO・Protrek
 途中、降りてくるヤクに道をゆずる。これがちょうどいい休憩に思える。道端に岩を見つけるとバックパックの底をその上に乗せて、背負ったままの小休止。Protrekを見ると標高3,275メートルまで来ているようだ。通過してきた場所の標高を示す棒グラフ状のインジケーターが、急坂の様子を物語っている。

 気温は8.0度まで下がりチラチラとみぞれが落ちてきたものの、溢れ出す汗は一向に止まる様子もない。身体が冷えないうちに、またスタートするか。

何者かに見られている気配 (Pls.Roll Over!)
 午後2時20分、ジョルサレを発って約2時間半が経った。ここでやっとナムチェ・バザールの家並が見えてくる。ここまで来ると標高は3,400メートルを超えていた。さすがにソルクーンブ山域最大の村だけあって、村内には数多くのロッジや商店が軒を連ねている。我々が泊まる宿『FOOT REST GEST HOUSE』の地上階は土産物屋だし、お隣りは『EVEREST BAKERY』というパン屋。この店にはオープンエアでお茶できるカフェがあり、なんと毎朝焼き立てのパンとエスプレッソが楽しめてしまうらしい。ここナムチェ・バザールでは高度順応のため二泊することになるのだが、暇つぶしの材料はいろいろとありそうだ。

 部屋に入って荷を解き、汗をかいた下着を取りかえる。持参のロープを張って濡れた衣類を掛けたところで一息。ふと窓の外へ目をやると、みぞれの降りがやや強くなってきたようだった。村の下のほうにはチョルテン※が見える。その先には寒さで凍結した滝が見えたりしてなかなかの眺望だ。

【用語解説】 チョルテン(Chodrten)
 チベット仏教の仏塔。中には真言が刻まれたマニ石が奉納されている。


ナムチェ・バザールは山の斜面に広がる村だ
 階下の食堂で熱いチャーを飲んだ後は、村内を散歩しに出掛けた。土産物屋が並ぶ狭い道にも「ヤク様」たちはいらっしゃる。ここでも当然のように糞があちこちに落ちている。「ヤク様」の中には道を塞ぐようにして突っ立っているのもいれば、フラフラとロッジに入っていってしまう奴までいる。

 「スイマソーン、横通りまーす」
 一応そう「ヤク様」に声を掛けて、土産物屋を冷やかしてまわる。店主はみなシェルパの人たちだ。ここナムチェは世界中からトレッカーが集まるところだけに、彼らを相手にするシェルパたちはみな上手な英語を話す。店においてある品はどこも大差はない。絵はがき、チベタンアクセサリー、木彫りの仏像など、いかにも「お土産」というものから、登山用のフリース、ウールのセーター、マフラーといったすぐに使えそうな衣類。他にも飲料水、菓子、電池、サンダルなどの生活用品まで多種多様だ。

 その中で目に付いたのが、暖かそうなヤクウール製のソックス。気温もかなり冷え込んできているので朝晩には活躍しそうだ。このアイテムに的を絞って何軒かで値段を聞いてまわると、大体の相場はつかめる。数軒まわった中では、宿の向かいにあるおばちゃんの店が、僅差だが一番安かった。決め手は「これは私が編んだのよ」という一言。これで落とされた。若干値切ったが買い値はRs180(180ネパールルピー=約290円)。日本に比べ物価の安いネパールにあっても、深い山の中だけになかなか高価な品物だ。「ありがとう、さっそく今晩から使うよ!」。


おばちゃんのお店にて
 おばちゃんとそんなやり取りをしていると、一人のシェルパ青年が店に入ってきた。日本人にそっくりな顔立ちで、しかも「男前」。彼は、僕が泊まる宿『FOOT REST GEST HOUSE』の地上階に店を出している土産物屋の店員だ。おばちゃんの店のお向かいにあるわけで、「商売敵」ということになる。しかし、ここナムチェではそんな野暮なことはいいっこなしのようで、二人の間柄は非常に和気あいあいとしている。

 こんなシーンもあった。おばちゃんが近所の店の前で井戸端会議をしている間に、ヨーロピアンの客がおばちゃんの店に入っていく。それを見たこの「商売敵」の青年、シェルパ語で「おーい、お客さんだよ」というような声を掛けてあげていたのだ。なんかいいな、こういう平和なのも。「いい奴」に弱い僕は、この青年の店でトレッキング・マップを購入した。五、六種類あるマップの特徴と値段を、ひとつひとつ中を見せながら丁寧に説明してくれたので、なかなかいい買い物ができたと思っている。ありがとうね、青年。

 村内には、なんとインターネットショップもあった。さすがはナムチェ、この山域で一番の「都会」。異色を放っている。お店で話を聞いてみると、客がタイプしたものを店の人が代行して送るシステムだという。そしてそのデータ量に対して課金する仕組みなのが面白い(1キロバイトあたりRs60=約100円)。使い勝手が悪いし高いので、ここでは止めておいた。



チベットのお酒、「チャン」
 この日の夕食は、宿の食堂で同宿のトレッカーどうしストーブを囲んでの団欒となった。チャン※を飲みながら会話は弾む。

【用語解説】 チャン(Chang)
 濁り酒。どぶろく。米・シコクビエ・大麦などさまざまな穀物から作られる。炊いた穀物に麹を振りかけ混ぜ合わせてなじませ、数日間寝かせて、水を入れて絞って飲用する。

 一人旅のドイツ人のおじいさんは、なんと23日間に及ぶトレッキングの途中だという。オーストラリアのおじさんグループとは「デジカメ談義」。どこへ行っても「SONY」は万国共通語だ。値段の話になるとみな、まずUSドルでいくらか、そして自分の国の通貨でいくらかを計算する。さすがは「IMF基軸通貨」(笑)。

 それともう一人がスウェーデン人の女の子。23歳だそうだ。彼女は近くの宿に泊まっているものの、そこの食堂は値段が高いらしくここに食べに来たらしい。見た目はアニメ『アルプスの少女ハイジ』のハイジにそっくり。そんな童顔の女の子が一人でトレッキングにやってくるとは大したものだ。少なくとも僕の周囲にそういう女性はいなかった。スウェーデンでは「ヘッドハンティング」の仕事をしているというからさらに驚きだ。

 こうして話し相手がいて盛り上がると、長い夜も退屈しなくていい。しかし同時に困ったことも起こった。翌日は「高度順応日」の予定で、次の場所へ移動せずナムチェに滞在するだけでよいこともあって、僕は地元のお酒「チャン」にチャレンジした。ところがそれを見たガイドのドゥンムラが気を緩めてしまったらしく、ベロベロに飲んでしまったのだ。高山病の日本人を助けたことがあるという話を、何度も繰り返す。大声で叫び、下品な笑いを爆発させる。挙げ句の果てに、「ハイジ」の身体を触り始める。ドゥンムラくんは、周りにいた男性トレッカー陣を完全に引かせてしまった……。「ハイジ」は(表面上は)嫌がる様子もなかったので誰も敢えてやめさせない。それでも度が過ぎたら注意してやらないとまずいだろうな。それは「ハイジ」のためでもあり、このガイドのためでもある。もちろん、何よりも僕自身がこのあと不愉快な思いをしないためでもあるのだが。そんななか、「オレ様はガイド」節が深夜まで繰り返された。

 やれやれ。二日目にしてもう本性表しちゃったか、こいつ。
 トホホ……。(つづく)
2001年3月22日(木)
Thu. Mar.22 '01
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