mayuge のヒマラヤ・トレッキング日記 Trekking TOPITINERARYnext>
【1日目】 カトマンドゥ〜ルクラ〜パクディン
The 1st Leg "Kathmandu〜Lukula〜Phakding"


 午前5時50分に目が覚めた。セットしておいたアラームはまだ鳴っていない。まずいな。俺、会社員時代は低血圧ってことで通してきたんだけど……。ま、いっか。トレッキング・ガイドとの待ち合わせは、6時半にホテル地上階のロビー。あと10分だ。ガバっと起き上がり、顔を洗って荷物をまとめる。昨夜のうちにトレッキングに持っていくバックパックと、山の中では必要のないものをまとめたデイパックに分けておいたので、いたってスムーズ。所要時間はぴったり10分だ。

 部屋に忘れ物がないことを確認し階下の中庭に出てみると、空気はひんやりとしていた。それもそのはず、ここカトマンドゥでもすでに標高は1,300メートルを超えているのだ。

 ホテルのとなりの民家から、サリー姿の「ネパール・ママ」が大きな瓶を持って出てきた。水汲みにでも出掛けるんだろう。動き出しているのは人間だけではない。鳥たちも朝っぱらから忙しくピーピーと鳴きまくり、木から木へと飛びまわっている。

 「ヤベッ、遅刻だ。じゃあ、かあさん行ってくるよ」
 「あら、あなた。ほらカバン、カバン」

 鳥たちも、そんな「朝のお約束的掛け合い」をやるんだろうか。とうさん鳥が食パンをくわえていないところを見ると、そういうことではないらしい。

 ホテルの受付にはまだ誰もいない。横にあるオフィスを覗くと、従業員がソファで仮眠しているのが見えた。気持ちいい眠りの最中で申し訳なかったが、彼を起こしてホテルに置いていく荷物を預ける。彼は僕のデイパックを預かると、またソファに戻って夢の続きを見始めてしまった。ねえねえ、僕のデイパック、受付に置きっぱなしなんだけど。大丈夫なの? ノートパソコンが入ってるだけにちょっと心配。



オンボロタクシーで空港へ
 午前6時40分、ガイドのドゥンムラと合流し、タクシーでトリブヴァン空港へ向かう。空港は、街の中心地から見て真東の方角にある。ガタガタと揺れながら走るオンボロタクシーのフロントガラスからは、太陽が昇っていくのが見える。いかにも「始まる」って感じ。いいねぇ。

 20分ほどで空港に到着、国内線チェックインロビーへ向かう。国内線用の建物は古い。チェックインロビーも、なんともお粗末なつくりだった。各航空会社のカウンターは小汚い「屋台」のような感じで、今現在チェックインできる便の案内などはどこにもない。そのため、誰か一人がチェックインして奥に進むと、その都度大変な騒ぎになる。ベンチに座って待っている連中が、「我も我も」と一斉にカウンターに押し寄せるのだ。そんな様子をぼんやりと見ながら、キヨスクで買った「チャー(ミルクティー)」をズルズルとすすり、チェックインを待つ。

 チェックインカウンターの横には、大きな体重計のようなものが置いてある。これで、預ける荷物の重さを量るようだ。おかしいのが、荷物の重さを量り終わると、客たちはその「体重計」を踏み越えて次の手荷物検査口へ進んでいくこと。「体重計」を通る以外に通路がないのだ。そのためロビー内には時折、「ガッチャン、ガッチャン」いう音が響く。

 出発予定時刻の40分前、午前8時に無事チェックインした我々は、男女別に分けられた手荷物検査の列に並ぶ。カーテンで仕切られたスペースに一人ずつ入り、警察官の「超」ずさんなボディチェックを受けると搭乗ロビーへ出る。ここまで来るとやっと空港らしくなる。搭乗ロビーはそれなりに小ぎれいなのだ。

 天候がもっとも安定する朝は、「マウンテンフライト」と呼ばれる山岳地域方面へのフライトの、ラッシュアワーにあたるらしい。滑走路を望む正面の窓からは、さまざまな色のプロペラ機が離着陸しているのが見える。

 さて、一服するか。喫煙コーナーを見つけポケットを探る。あっ、そうだ。ライターを持っていると手荷物検査で没収されると聞いて、預けたバックパックに入れちゃったんだ。しかたなく、近くにいたネパール人の青年に火を借りて、ふぅー。あれっ? キミなんでライター持ってんの?

 結局、我々の便の搭乗案内が始まったのは、出発予定時刻を40分過ぎた午前9時20分。航空会社の名は「イエティ・エアラインズ」だ。日本でいえば「なまはげ航空」とか「やまんば航空」といったところか。ふざけているのか真面目なのかはわからない。



まずはプロペラ機
 飛行機までは、滑走路内を走るバスで移動する。乗り込んだのは、数えてみたら17名だけ。実はこれ、満席らしいのだ。バスが止まると、そこにはなんとも頼りないプロペラ機が停まっており、荷物の積み込み作業が行われていた。それを尻目にステップを上がり、たいして背の高くないマユゲでさえ頭を下げないと通れない入口から機内に入る。座席は左右に一列ずつ。その間が通路だ。天井が低いため頭を下げ屈んだ状態で進み、前から二番め、左側の席をゲット。そう、座席は指定されていないのだ。

 まず目指すのは、パプルー(PHAPLU)という村。カトマンドゥから東へ130kmほどのところだ。ネパールは、国土の北部一帯にヒマラヤ山脈を配しているので、東向きの飛行機では左側に座ると「ヒマラヤ・ビュー」になるわけである。

 全乗客17名が乗り込むのはあっという間。ヨーロピアン7割、ネパリー3割といったところか。どうやら、みな「トレッカーとガイド」の関係のようだ。

 キャビン・アテンダントの姉ちゃんが、キャンディーと小さな綿を配りに来た。キャンディーは気圧低下による「耳ツーン」対策、綿は耳に入れてプロペラの騒音対策にするようだ。そうだよな、どう見ても気圧を一定に保つような装置のある飛行機には見えないもんな。



山の斜面には段段畑が広がる(Pls.Roll Over)
 飛行機は午前9時30分、ものすごい音をたてて離陸すると、カトマンドゥ市街を見下ろしながら進んでいく。

 10分ほどで郊外に差し掛かると、さっそく白峰が見えてきた。僕が左手首に巻いている「CASIO Protrek」の高度計によると、飛行機の高度は3,000メートルを超えている。それでもキャンディーのおかげなのか、それほど耳が痛くなることもない。それにしてもあの山々は、今いる高さの倍以上の標高になるわけだから、改めて驚きだ。

 手前の山の斜面には段段畑が広がっている。農作物のとれる低地と、6,000メートルクラスの高峰が連なるヒマラヤ山脈。この国の北部と南部の標高差はすごいことになっているのだ。

機長の左手に乗員・乗客の運命が託される
 天気もよく、窓からの景色はのどかなものだったが、途中機体は激しく揺れた。機体の中心を軸にして微妙な円盤回転をしたり、いきなり十数メートルくらいストンと高度が下がったり、まさにジェットコースター状態。乗客の視線はみな、開けっ放しのコックピットに集中している。

 機体は徐々に高度を下げながら尾根の間を旋回する。そして午前10時、コックピットの窓から、着陸するパプルー(PHAPLU)空港の滑走路が見えてきた。山の中腹に無理矢理造った感じの空港だ。

 同時に、乗客一同に再び緊張が走る。よく見ると、滑走路がやけに短いのだ。僕も正直、これで止まりきれるのかと心配になったが、もうジタバタしてもしかたがない。機長に任せるほかないもんね。幸い飛行機は、ガタガタと激しく上下動を繰り返しながらも、なんとか滑走路がなくなる前に無事停止。ふぅー、やれやれ。

お次はヘリ!
 ここからは、一同ヘリコプターに乗り換える。次なる目的地は、トレッキングの始発点ルクラ(LUKLA)だ。本来はルクラの空港まで一気に飛ぶのが一般的らしいのだが、現在ルクラ空港の滑走路が工事中で、ヘリでしか着陸ができないという。

 我々が乗るヘリはすでに到着しており、プロペラ機から降ろされた荷物が、どんどん積み込まれていく。

轟音と埃を残し飛び立つプロペラ機
 そうこうしているうちに、我々を乗せてきたプロペラ機は、山からヘリで降りてきた客たちを乗せ再び動き出した。ちょうど客を入れ替えるようなかたちとなるのだ。滑走路は未舗装の砂利道。ものすごい砂埃をあげながら飛び立っていった。

 荷物が積み終わると、7人ほどがヘリに乗り込む。このヘリは小型なので二回に分けて運ばれるらしい。僕は運良く第一便。操縦士の真後ろに陣取った。

 おおー、やっぱヘッドフォンしてるよー。映画と一緒だ!

 マユゲ以外の乗客たちも、滅多にできないこの経験に興奮しているようであった。助手席に座ったヨーロピアンのお姉ちゃんは、大喜びで写真を撮りまくっていた。

地平線が斜め!?
 プロペラが回転を始め全員が乗り終えると、係員が外からドアをロックする。いよいよ離陸だ。

 操縦士が手元のレバーを動かすと、プロペラの音が一段と大きさを増す。すると、突然機体が「フワッ」と持ち上がった。なんとも言えないこの感覚! 4、5メートルほど上昇すると、今度は片方の「肩」を下げて旋回を始める。ええーっ、もっと高く上がってから曲がるんじゃないの?という感じ。滑走路スレスレを「なめた」後は谷へ飛び出す。

 旋回を続けているため傾いた状態の機内からは、地平線が斜めになって見える。楽しい。マジで楽しい。もう、無邪気に感動、であった。


飛行機なら山に激突!?
 しかし楽しいヘリの旅は、まさに一瞬。いくつかの尾根を越えると、15分ほどでルクラ空港の滑走路が見えてきた。

 うわっ、この空港、飛行機だったら本当に山にぶつかりそうなつくりだわ。

 ヘリはプロペラの爆風で埃を巻き上げながら、ルクラ空港内のヘリポートに無事着陸。係員により手際よく荷物が地面に降ろされると、乗客は各自自分の荷をピックアップして足早にヘリから離れる。ここでも待っていた客たちが入れ替わりに乗り込んでいく。こんな山奥でも実に無駄なくピストン運行しているようだ。


ルクラの飛行場からは、もう雪山が見える
 空港からは、雪をたたえた山々がさっそく目の前に見えている。とうとうヒマラヤ山域に足を踏み入れたという感じだ。

 すると、鼻水を垂らし、真っ赤なほっぺの少年たちが僕に寄ってきた。ここルクラは、すでにシェルパの地。彼らの顔は、同じモンゴル系の先祖を持つ我々日本人ととてもよく似ている。

 少年たちは口々に「ポーター(荷物の運び人)は要らないか」と売り込んでくる。荷物は自分で運ぶから必要ないよと答えつつ、ちょっと考えさせられるものがあった。

 今回の旅でまわった他の国々と同様、この国でもやはり子供たちはよく働く。どこかの「子供様様」な国の「過保護お坊っちゃま」たちとは大違いだ。戦後間もない頃の日本の子供って、こんな感じだったのかな。

 空港近くのロッジで早めの昼食(ダルバート)をとった僕とガイドは、午前11時30分いよいよトレッキングを開始した。Protrekを見ると、ここですでに標高2,800mを超えていた。

これでもカメラ目線なんです
 ルクラの空港から西へのびる村のメインストリートには、商店やロッジが並ぶ。このあたりのロッジには、トレッキングを終えてヘリの搭乗を待つ人々が大勢宿泊しているらしい。

 その通りを意気揚々と進んでいくと、牛(ヤク※との雑種?)の集団とすれ違った。人間が生活する村のこんなど真ん中でも、平気で通るのものなのね。彼らは牛飼いの発する奇声に操られ、首のカウベルをゴロゴロと鳴らしながらゆっくりと通り過ぎていった。
【用語解説】 ヤク(Yak)
 牛属・ヤク亜属の哺乳動物。高山性で冬でも3500mを超える高地でしか見られない。狩猟の対象になってきた野生種は絶滅が心配されている。家畜のヤクは荷役・農耕のほか、乳はチーズなどの乳製品、肉・内蔵などは食用に、皮革・毛などは衣料に、骨・角はさまざまな製品に加工され、糞は燃料や肥料として利用される。

空気の澄んだ渓谷をゆく
 ルクラを出て急な山道を下ると、渓流沿いの尾根道に出た。ここからは十数分歩く毎に集落があり、そこには必ずロッジとそれに併設する商店がある。どこの商店も同じように山道に向かって商品をずらりと並べている。置いている商品は全く一緒。コカコーラ、ファンタ、スニッカーズ。ネパールではお馴染みのサンミゲル・ブランドの缶ビールまで並んでいる。ここはまだ低い場所だからか、物資が潤沢であるようだ。道端の畑ではニンニクやキャベツ、麦などが栽培されていた。麦はチャパティの原料になるらしい。

 気温は暖かく、道端には所どころ花が咲いていたりする。何より空気がきれいだ。排気ガスが充満するカトマンドゥとは大違い。アップダウンが続く石畳の道を、気持ちよく呼吸をしながら快調に歩いてゆくと、背中と額にじわりと汗が吹き出してくるのが分かる。

 歩いていて気になるのは、時折巻き上がる土埃とヤクの糞。このあたりでは、ジャガイモ入りの麻袋や燃料などを背負ったヤクたちと頻繁にすれ違う。エヴェレスト・ベースキャンプまで続くこの山道は、シェルパの人々にとっては生活道であると同時に、大切な交易ルートでもあるのだ。

 彼らは口笛や声で上手にヤクたちをコントロールして物資を運んでいく。そのため、ヤクの糞は3メートルおきといっていいほど頻繁に落ちているのだ。それこそ湯気が出るようなホヤホヤのものから、乾いて粉々になったものまでその状態は多種多様。なかには、「オマエ、今朝何食ったんだよ(怒)」といいたくなるくらいしっかり臭いものもあって閉口した。いや、閉鼻した。
 ドゥードゥ・コシという川沿いに歩く。この川はソル・クーンブ山域の氷河を水源としているそうだ。約2時間半気持ちよく歩き、午後2時過ぎにパクディン(PHAKDING)という村に到着。この頃になると空は雲で覆われており、谷を吹きぬける風も肌寒く感じられるようになっていた。パクディンの標高は2,700メートルくらい。途中アップダウンはあったものの、結果的にルクラからは100メートルほど降りてきたことになる。

 この日はここパクディンのロッジ、『INTERNATIONAL TREKKER'S』に宿泊することになった。石を積み上げて造られた小ぎれいな建物だ。我々の部屋には大きな窓があったが、置いてあるのは小さなベッドが二つだけ。掛け布団やブランケットはない。ただ、極薄だがマットレスが引いてあるので、寝袋さえあれば快適に眠れそうだ。


WELCOME to PHAKDINGという看板が出迎えてくれる
 荷物を降ろし、地上階の食堂でコカコーラを頼んで一息つく。すると宿の少年は、ガラス張りのショーケースからコーラの缶を取り出した。そうか、冷蔵庫に入れてないんだ。ぬるいコーラは嫌だなと思っていたが、飲んでみると充分に冷たい。ここはやはり高地、冷蔵庫で保存する必要がないほど涼しい(寒い)ところなんだなと実感する。

 シャワー小屋へ行こうと宿の外のへ出ると、身震いするほどすっかり寒くなっていた。日中、アップダウンが続くコースを歩いてきたときは陽射しもあって汗をかくほどだったが、ガラっと変わった。四畳半はあろうかという広いシャワー小屋内には隙間風が入ってくる。床は冷え切ったコンクリート。しかも「ホットシャワー(料金:Rs60)」はメチャメチャぬるく、浴びている間ずっと「ohhhh!」とか「uhhh!」とか腹から声を出しまくってしまった。

 全身鳥肌状態で、歯をガタガタ言わせながら薄暗い食堂に戻ると、他の宿泊客たちも顔を揃えていた。といってもこの日の客はオーストラリア出身の青年二人組と、明日ルクラヘ向かうというアメリカ人のカップル、それに我々のみ。皆チャーを飲みながら本を読んだりしてくつろいでいる。まあ、部屋には何もないからな。

 午後5時半頃、食堂の中央にあるストーブに火が点される。気温は10度を切っている。そこで夕食を注文し、6時半頃、宿泊客みんなで揃って食べはじめた。こういった山中のロッジでは、燃料である薪の節約のため宿泊客たちが食事の時間を揃えるのがマナーとなっているのだ。これは自然保護という観点にもつながっているらしい。

 窓の外はすっかり真っ暗で、食堂の小さな蛍光燈にも灯りが点った。このあたりではまだ水力発電による電気が使用できるようだ。しかしこれだけでは手元がよく見えないほど暗いので、宿の主人が各テーブルにキャンドルを持ってきてくれる。いかにも山小屋っぽい雰囲気が出てきたところで、トレッカーどうしの会話が始まった。

 オージーの二人は27歳というから僕と同い年。するとガイドのドゥンムラが自分も27歳だという。しかもすでに3人の子持ちときたからさらに驚き。いやーそれにしてもこんなところで各国の27歳が集まるとはね。アメリカ人のカップルは、「カラ・パタール」と「ゴーキョ・ピーク」というエヴェレストの二大展望ポイントをまわる18日間のトレッキングの終盤とのこと。超早口でマシンガントークする彼女のほうは周囲をうんざりさせたが、時々口を開く彼氏の言葉によれば、とてもすばらしい眺めを経験できたとのこと。うーん俺も楽しみだ。

 食後はまたやることがない。オージーの一方はヘッドランプでペーパーバックを読んでいる。重くなるからと思ってガイドブックの切り抜き程度しか持ってこなかった僕は、手持ちぶさた状態。そのため午後7時半には部屋に戻って寝袋に入った。翌日は午前8時半出発予定なので7時半に起きれば充分。ってことは12時間もあるよ、どーしよ。そう思いつつも、微かに聞こえてくる渓流の音をBGMに目を閉じた。(つづく)
2001年3月21日(水)
Wed. Mar.21 '01
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