mayugeのダラダラ放浪紀 古のカルタゴ、ハンニバルの国。チュニジア(Tunisia)

 「トズール〜カルタゴ」篇 (Tozeur→Karthage)



チュニジア国内線に乗る

滑走路で夜明け
 2001年7月21日(土)、午前4時25分起床。
 腕時計のアラームが鳴る5分前に目が覚めた。またまた目覚し要らずで起きれてしまった。やはり朝イチの飛行機や列車に乗る前の晩は、これに乗り遅れてはやばい、という一応の緊張で眠りが浅いのかもしれない。
 タクシーを午前5時に呼んでもらうようフロントに頼んでおいたので、30分で身支度アンド最終荷詰めだ。すると、さすがは三つ星ホテル、特に頼まなかったのにちゃんと10分前にモーニングコールを入れてくれた。こんなちょっとした気遣いでも、安宿を転々としてきた旅人にとっては感動なのである。
 すでにチェックイン時に会計は済ましておいたので、キーだけ返してタクシーに乗り込む。
なかなかいい滞在だったぜ、ホテル・オアシス!

 トズール空港までは10分弱で到着。滑走路にはジャンボ機が2台見えた。まさかあんなでかい飛行機じゃないよな、国内線の一時間程度のフライトで。チェックインして出発ロビーへ。アフリカといえど、朝の外気は涼しかったな、なんて思いながらカフェ・オレをすする。ロビーを見回すが、人はまだまばら。10人程度しかいない。こりゃ、プロペラ機だな。

 午前5時半過ぎには搭乗案内がはじまり、滑走路を歩いて飛行機に向かう。
やっぱりプロペラ機。しかし以前ネパールで乗った17人乗りほどは小さくない。この大きさは初めてだな、よしよし。何がよしよしなんだか。それにしても昇ったばかりの太陽がきれいだ。

 機内にはチュニジア美人のスチュアワーデスとチュニジアン・ナイスミドルのスチュワードが待っていた。そして、72人乗りの席が半分くらい埋まったところで離陸。週末のこんな朝っぱらに砂漠から首都に戻る奴も多くはないか。

 予定の午前7時より少し早くカルタゴ国際空港に着陸。
 ここはこれで二度目だ。イタリアへの再出発に備え、上階の出発ロビーを下見しておく。明後日のシチリア島パレルモ行きの便も午前8時発と、これまた早いのだ。

 続いてはカルタゴでの宿の手配。ガイドブックに載っていた良さそうな三つ星ホテルは、2軒電話したもののどちらも満室。そこで空港内にカウンターを出している、その名も「カルタージュ・ツアー」というエージェントで手配してもらうことにした。普段はエージェントでは取り扱わないような安宿に直接訪ねていくので、こういう手配のしかたは実は初めて。ここの兄ちゃんは幸い英語を話してくれた。これは助かる。砂漠の後は絶対プール付きゴージャスホテルでリラックスだ!と決めていたので、ここでも「カルタゴに近く、プールがあって、70ディナール以内」という条件で探してもらった。兄ちゃんは一生懸命電話を掛けてくれて、5軒目でシングル空室をゲット。紹介手数料を支払ってカウンターを後にする。


しつこい
 空港外のタクシー乗り場では、運ちゃんたちが車から降りて仲間うちでたむろしている。そのなかの一人が、バックパックを背負った東洋人のカモ(マユゲ)を見つけて食いついてきた。小柄でやや小太りな中年。精一杯の笑顔で話し掛けてくる。
  「どちらまで行かれますかー? ん? ん?」
 ホテルの場所と名前を告げると、ちょっと考えてから、
 「うーん、だいたい20ディナールくらいですかねぇ。ん? ん?」
 と答える。これは高い。かなりふっかけてきてる。おそらく、空港から出てきたマユゲを今日チュニジアに到着したばかりの旅行者だと思い込んでいるんだろう。入国して間もなくまだ相場感覚が分からない旅行者からボロうというわけだ。

 こういう輩はヨーロッパでも多かった。少しの良心の呵責もなくこういうことができちゃうのを見ると、なんともやり切れない気持ちになる。何でこう騙そうとするのかねぇ、ヨーロッパやムスリムの国ってのは……。贔屓目かもしれないけど、日本で、外国人観光客を騙して金をくすめてやろうなんて考える奴はいないと思うがね。
 ため息まじりに、トズールから国内線で着いたんだよと言うと、すかさず言い値が13ディナールに下がる。でもまだ高い。
 「それと荷物が2ディナールで15ディナールでどうでしょうねぇ。ん? ん?」
 ……。

 彼はしきりに「遠いです、とても遠いです。30キロメートルもあるんですねぇ、ん? ん?」というが、地図で見るとどう多めに見ても15キロ。そこで、メーターで走ってくれと言ってみるものの、なんとしてもメーターを使わないで行こうとする。まぁそれなら、タクシーで荷物代を請求する習慣の都市はあるし、相場からしてこの距離だと7〜8ディナール。チップ込みで多めに払うとしても10ディナールってとこかな。
 「OK、10ディナール。でも荷物で12ディナール。ん? ん?」
 もう怒った、他に乗る!と後ろのタクシーの運ちゃんに声を掛けようとすると、やっとのことで、分かった分かった、ということになった。これでもメーターで走るよりは儲けられるのだろう。料金交渉というのも、旅の初めのうちは楽しめるけど、こう度々だとさすがにうんざりする。数百円をケチろうというんじゃない。サービスに対する適正な対価を払いたいんだよ、俺は……。

 やっと助手席におさまって発進。
 しばらくすると運ちゃんはラジオをかける。聞こえてくるのは、男が甲高い声でハンニャーハーラーみたいなことを歌っているアラビア歌謡。すると運ちゃんが口を開く。
 「アラビアン・ソング、2ディナール。ん? ん?」
まだ言うかこいつ。今はそんなジョークが面白くない気分なんだよっ。プチッ。電源を切ってやった。すると運ちゃんはまたスイッチを入れて、チャンネルを変えた。今度は『ジャマイカン・イン・ニューヨーク』が流れる。すると、
 「レゲエ、3ディナール。」
 ……。

 さらに運ちゃんは信号待ちの間に「これ、読みます?」と声を掛けてきた。そちらを見ると、
 「新聞、1ディナール。」
 そんなミミズがのたうち回ったような文字(アラビア文字)なんて読めないっつーの(怒)。
 しかしこうしていると、次第に次はどうくるかと期待をしてしまう。
 そして二人ともしばし沈黙……。

 次のネタを考えていて落ち着かないのか、運ちゃんは車線を頻繁に変えた。
 しかしウインカーは出さない。自称神経質のマユゲは、薄暗くなってもライトを点けない奴とウインカーを出さずに車線変更する奴に虫唾が走る。イライライラ……。
 さらに運ちゃんは、車線をまたいで走りつづけたりもする。道がそんなに混んでいないとはいえ、これまた神経に触れる……。イライライライライライライラ……。

 神経質といえば、高校時代の友人に、青木というこれまた神経質な男がいた。
 奴とマユゲとは、クラスも部活も同じだったが、もうひとつ、"神経質つながり"という仲でもあった。しかし神経質にもタイプがいろいろあるようで、青木は「神経質アルファ型」、マユゲは「神経質ベータ型」ということになっていた。いつだったかこんな話をした覚えがある。
 「なー青木。お前、テストの印刷が用紙に対してななめに曲がってたりするの、耐えられる?」
 「おー、オレも神経質だけど、それは全然気にならねーなー、オレの場合。」
 「うっそ。俺、絶対やだ、そんなの。後ろの奴のと替えちゃったりするもんね、俺なら。」
 「ところで聞くが、オマエは電車の中とかで、バッグを床に置いたりするの耐えられちゃうわけ?」
 「全然問題ないでしょ、そんなの。どーせバッグの底なんて汚ねーんだから。」
 「げっ、不潔っ。オレは絶対あみ棚に載せるなー。」
 二人は、男子校アメフト部で毎日くさい防具をつけてぶつかりあう男たちなのであった……。

 話はそれたが、そんなことを思い出していると、運ちゃんが急ブレーキを踏んだ。
 何かと思えば、前を走っていた車が何の合図もなしに突然道の真ん中で停車したのだった。どーせ女だろうな、と思って追い越しざまに覗き込んだら、案の定おばちゃんドライバーだった。探している建物に夢中になるあまり、後続車のことなど頭からすっ飛んでしまっているらしい。こういう女特有の神経というのは万国共通のようだ。それは男女差別だ!とヒステリーを起こす方もいるかもしれないが、所詮、男と女はつくりが違う。神様がわざわざ別につくったくらいなんだから、それぞれに特有の性質があって当然だし、またそれぞれが長所短所をもっているはず。「差別」はいかんが「区別」は必要でしょ。「女らしく」とか「男らしく」とかっていうのはとても素敵なことだと思いますがねぇ。


スースでのリゾートを諦め、カルタゴで「焼く」。
 おっと、いかんいかん、また話がそれてしまった。
 どうやら運ちゃんも「道路通行上における神経の使い先優先順位まちがい」に対して憤りを感じたらしく、
 「んんんー(怒)! マダム、マダム!」
と小声でつぶやく。
 そしてそこで、油断していたマユゲにすかさず次の手を打ってきたのだった。

 「マダム・プロブレム、2ディナール。ん? ん?」

 こいつ、おもしろいわ。

2001.07.22 カルタゴにて

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