mayugeのダラダラ放浪紀 これぞアルプス、永遠のお伽の国。スイス (Switzerland)
「ウェンゲン」篇 (Wengen)
窓下の棚には路線図 |
氷河から流れる川を横目に進む |
6月22日(金)、今日は思い出の村ウェンゲンを訪れる。
ウェンゲンは、十八年前、マユゲが「スイス・サマースクール」に参加させてもらったときに二週間滞在した場所なのだ。小学校四年から中学校三年までの子供たち数十名が、何人かのインストラクター引率のもと、いろいろな海外生活体験を積むというその企画にマユゲは最年少で参加したのだった。
果たして現在はどうなっているんだろう?
自分のルーツを辿るようで、何だかとてもわくわくする。
インターラーケンのホテルを朝早く発ち、エスト駅から登山列車に乗る。
緑とクリーム色のツートーンカラーの列車。これがまず懐かしい。
ここベルナー・オーバーラント地方の登山列車は、通常のレールの間にもう一つ軌道があって、車体の底についた歯車が、その軌道をガリガリと噛んで登っていく仕掛けになっているのだ。
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案内板をよく見て乗り換え |
木張りの椅子も懐かしい |
ゆっくりと進む列車は、ツヴァイリュチーネン駅を通過。ここは、この地方で最も有名な村、グリンデルワルト方面へ向かう線路との分岐点だ。さらにしばらく行くと、ラウターブルンネン駅に到着する。
ここで乗り換えだ。今度はクライネシャイデック行きの列車に乗りかえる。
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絶壁を豪快に落ちる滝 |
椅子はもともと傾いている |
ここから列車は一気に高度を上げてゆく。耳がツーンとするほどだ。
窓からは氷河が削った崖の岩肌や、窓枠に対して斜めに立つ木立が見える。
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高原の風景 |
ウェンゲンの手前まで登ってくると、氷河の爪痕を思わせるU字型の谷が一望できるようになる。
崖の上の斜面には牧草地が点在しているのが見える。日の当たる場所は残らず使おうとしているかのようだ。
程なく列車はウェンゲン駅に到着、マユゲはここで下車する。
あれっ?こんなところだったっけ?と思うほど駅舎はすっかり近代的な建物になっていた。すっかり現代的スキー&スノボ・リゾート地の様相だ。かつての山村的色合いの濃かった印象との落差に、少々拍子抜けしてしまうほどだ。
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まだあった! |
狭くなった気が…… |
ウェンゲン駅構内には、インターラーケンと同じようなホテル案内板があった。各ホテルに割り振られたコード番号を押すと、地図上のランプが点灯する仕組みになっている。
ここでマユゲが探したのは、かつて滞在した「ホテル・ベルベデール」。さすがにもうなくなっちゃったかなぁ、と思いつつ探していくと、
「あった!」
思わず声を出してしまった。なんとも感激である。あのとき二週間も泊まったんだもんな。部屋の洗面所で洗濯したっけ。洗濯を自分でやったのはあの時が始めてだったなあ。同部屋は大阪の森本(当時六年生)と京都の池川(当時四年生)。三人で騒いだなぁ。
毎朝、村一周のマラソンもしたっけな。道端に牛の糞や真っ黒いイモリがウジャウジャしていたんだよな。初日こそ、「あっ!あいつウンコ踏んだ!」なんてからかわれるのだけれど、二日目になるともうみんな踏みまくりだったんだよなぁ。
そうそう、現地の学校を借りて「日本まつり」と称したイベントもやった。確か習字のセット持っていって、スイス人の名前を漢字で書いたのが大人気だったんだよ。長崎から参加した松田しょう子ちゃん(当時六年生)と二人でハッピ着てね。懐かしー! 当時から俺は「姉専(あねせん=年上の女性好き)」だったんだよな、そう言えば。グリンデルワルト方面へのピクニック、ユングフラウ・ヨッホ見学もここを基点に行ったんだよなあ。駅からの道を歩きながら、異常なほど鮮明に記憶が甦ってくることに我ながら驚いてしまった。
ツーリストインフォメーション近くのみやげ物屋で絵はがきを選んでいると、また古い記憶を思い出す。
「ちゃんと手紙を書きなさいよ」と言って送り出された親に、結局一回だけ絵はがきを送ったのだが、その時の絵柄と文面を思い出したのだ。ウェンゲンの村を空撮した写真のなかの、自分の泊まっているホテルの部分にマジックで印をつけて、「ここに泊まっています」なんて書き込んだのだ。「まるで昨日のことのように」という表現がそのまま当てはまるほど、十八年という時間の隔たりがあっという間につながっていく。
そうそう、此処、此処! |
駅でもらった地図と甦りつつある記憶を頼りに村のなかを進むと、涙がでそうなほど懐かしい建物に行き着いた。
ホテル・ベルベデール。
そうそう、ここだ。この建物だ。俺たち三人は確か三階(日本式四階)の端っこの部屋だった。ついつい気持ちが十歳の頃に戻ってしまう。
感激の延長でホテルに足を踏み入れる。ひっそりと静まり返ったロビー。フロント台の向こうにはパソコンに向かって入力作業に勤しむ女性の姿。こちらから声を掛けると、彼女は仕事の手を休めこちらにやってきてくれた。そこでマユゲは、実はかれこれで、かつてこちらに滞在したといったことを説明する。
エイティーン・イヤーズ・アゴー。
食堂へ通じるホール |
窓からの景色は変わらず |
自分で口にした言葉によって改めてその時の長さに気づく。
何かそのときの記録は残っていないだろうかと尋ねたところ、彼女曰く、何年か前に経営者が代わったらしく、それ以前の宿帳の類は保管していないという。そして、新体制になってからは日本からのサマースクールを受け入れることもなかったそうだ。
やはり十八年は長かったのだ。
その現実によって、また時間を引き戻される。こうして前世紀の、遠い記憶のおもちゃ箱の蓋は閉じられてしまったのだが、せっかくなのでかつて座ったであろうティールームの古びた椅子に腰掛け、コーヒーを一杯いただいていくことにした。かつて歩いたホールを眺め、かつて覗いた窓からユングフラウの白き頂を仰ぎ見ながら。
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牧草地の小道を抜けて |
かつて電気自動車が行き交っていた道を |
この眺めは永遠に変わって欲しくないな |
性にもなく感傷に浸ったマユゲは、再び村の中心地に戻る道を行く。
しかしかつては其処此処に寝転がっていた牛たちの姿は見えず、環境保護のために電気自動車しか走っていなかった村道を、今はディーゼル車が通っていく。これも時代の流れなんだろうか。
そうだ。今回もまた、ここから両親に絵はがきを送ろう。多少は成長した文面で……。そう思って切手を買いに行った郵便局では、ちょっと嬉しい出来事もあった。
窓口のおばさんに「この村も随分変わりましたね」と声を掛けたところ、最初こそ怪訝な顔をしてみせたものの、事情を話すと花が咲いたように表情を明るくして話してくれた。
彼女は昔のジャパン・フェスティバルのことを覚えているという。1983年のフェスティバルで「KANJI・LETTER」で名前を書いていたのが僕だよと言うと、おばさんはマユゲを上から下まで眺めて驚く。そう、俺も大きくなっちゃったよ。嬉しいような、淋しいような……。
しかしおばちゃんと話していてひとつほっとしたのは、ガソリン車が走っていたのは工事のために特別に持ち込まれた車両だということ。この美しい自然は、今も村民たちの努力によって維持されていると知り、何だか嬉しい気持ちになった。
はがきを投函した後、村から出ているロープウェイに乗る。その窓からは、次第に下のほうになっていくウェンゲンの村の全景が見えた。
この星には、大切にしたいものがまだまだある。
2001.06.22 ウェンゲンにて |
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