mayugeのダラダラ放浪紀 ニッポン人が無性に憧れる国。イタリア (Italy)

「フィレンツェ」篇 (Firenze)


 花の都へ


トスカーナの車窓から
 2001年6月16日(土)。市街北部のスタディオ・オリンピコで行われる、セリエA、ローマ対パルマ戦を翌日に控えたローマの街を後にする。チケットは手に入らないし、どうせテレビで見るなら、もしローマが敗れても「安全な」場所に移ろう。というわけで午前6時55分ローマ・テルミニ駅発のユーロスターで、“花の都”フィレンツェを目指す。

 列車は快調に北へ向かう。ローマ中心部から郊外へ出ると車窓からの風景が一転した。トルコの草原を思い出すような緑の畑が続く。ここのあたりから先はトスカーナ地方だ。「トスカーナ」って響きが、なんかいい。食べ物がうまそうな感じがするのは、何故?
 ドゥオーモ、Duomo、どぅおーも

 イタリアの列車なのに、定刻通りの午前8時25分、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅(通称フィレンツェS.M.N.)に到着。でかバックパックを駅の手荷物預かり所に放り込み、さっそく宿探しだ。まだまだ朝の雰囲気が残る駅近くの安宿街を歩く。

 看板に「Hotel」と書いてあるところには、もう行かないことにした。高くて無駄足になるからだ。駅から程よく距離があって(これは値段が下がるから)、遠すぎないあたりで、いくつか宿の看板が出ているビルの階段を上る。雑居ビルの上階のほうがこれまた安い可能性が高いのだ。実際、地上階、一階(日本でいう二階)は三つ星や二つ星などのホテルが入っていることが多い。我々、貧乏旅行者が泊まるペンショーネ(Pensione)やソジョールノ(Soggiorno)は、二階・三階は当たり前。

 この日は三軒目で好条件をゲット、意外に早く宿を得た。ここフィレンツェでは二泊する予定で、翌日はサッカーを見なければならない。少々高くても部屋にテレビがあるところを、と思っていたのだが、「部屋にはテレビがついてないけど、ダイニングでうちの主人と一緒に見なさいよ」というおばあちゃんの一言で決まり。中央にダブルベッドが置かれているその部屋は、とてもきれいで天井が高い。机と椅子のセットもあったりしてVAIOを開くにももってこいだ。さらに、おばあちゃんの趣味だろうか、ベランダにはきれいな花が飾ってあったりするので窓の眺めもいい。さすが“花の都”。


 チェックインだけ済ませてさっそく散策に出掛ける。近くの中央市場前の道には、左右に露店が並んでいて賑やかだ。中近東系の兄ちゃんがニセ時計をジャラジャラ持って歩いていたり、アフリカ系のブラザーが道端に“ヴィトン”や“プラダ”のバッグを並べていたりする(ここは香港・尖沙咀か)。サッカーのレプリカ・ユニフォームを売る店も何軒かあった。これはおみやげにちょうどいい。後で覗いてみよう。


【左上】鐘楼は高さなんと84メートル 【右上】ドゥオーモの正面(ファサー
ド) 【左下】ファサードと鐘楼の間から赤い天蓋が見える 【右下】サン・
ジョバンニ洗礼堂

 サン・ロレンツォ教会の前で右折、トラットリアなどが並ぶ道を進むと、八角形のかたちをした建物の前に出た。ここが「ドゥオーモ広場」だ。「ドゥオーモ」というのはある種特別な教会のことらしい。

 ここは、以前イタリアを訪れたうちの母親が奨めていたところだ。うちの母親は英語の「C」の発音がやたら正確でかわいいのだが(「ビタミン・スィー」とか言う)、このドゥオーモという言葉も、まるでイタリア人かのように発音していたので記憶に残っていた。「フィレンツェではね、『ドゥオーモ』が良かったわよ、『ドゥオーモ』が」。ここのことでしたか、母上。

 まあそれはいいとして、先ほどの「八角形」は洗礼堂とのこと。四面に青銅の扉があり、そのうち、その美しさからミケランジェロをして「天国の扉」と言わしめたという東側の扉前には人だかりができていた。おおー金ぴかだよ。ミケランジェロは「デーハー趣味」だったのか……。

 洗礼堂を回って、ドゥオーモの正面に立つ。もう、「こりゃ、すごい」の一言。てっぺんに被さる大円蓋(クーポラ)までの高さが114メートルというその建物には、びっしりと装飾が施されている。柱という柱、軒という軒、窓という窓――。その全てに細かな細工がしてあるのだ。所どころには彫像、フレスコ画なども織り込まれていて、どこを見ていいか迷ってしまうほど。神様のためならここまでやるのか。日本の寺にある仏像なんかも好きだけれど、これはまた全く違った趣で引き込まれるものがある。

鐘楼(左)と洗礼堂の間には飛行機雲が
 ドゥオーモの正面に向かって右側には、高い鐘楼が建つ。こちらの装飾もまた見事。この壁面は、いったいどうやって工事したのだろう。なんて考えながら鐘楼を見上げていると、鐘楼と洗礼堂の間から見える青い空に、一筋の飛行機雲が伸びているのに気がついた。なんとなくきれいだったので一枚。
 まだまだあるぞ、フィレンツェ


サンタ・クローチェ教会
 ドゥオーモ広場からまっすぐ南に伸びる「カルツァイウォーリ通り」を途中で左折、10分ほど歩くと「サンタ・クローチェ広場」に出る。この広場の奥にあるのが「サンタ・クローチェ教会」(そのまんまだけど)。この広場は今まで見たどの広場よりも広い割に人だかりがないので、他とはちょっと違った静かな空間になっている。ベンチに座っていても何かくつろぐものを感じた。

 ミケランジェロやガリレオ・ガリレイなどの墓があるという堂内を覗くと、ステンドグラスでできた大きな窓があった。中のほうが広場よりかえって人が多く、偉人たちも静かに眠ってもいられない感じで、なんかちょっと不憫であった。

ヴェッキオ宮殿
 サンタ・クローチェ広場から西へ向かうとすぐに「シニョーリア広場」に出る。そこには、かつてフィレンツェ共和国の政庁舎であったという「ヴェッキオ宮殿」が建つ。

ベッキオ橋の左右には商店が並ぶ

横から見るとこうなっている
 シニョーリア広場から南西へ進むと、道はアルノ川にぶつかり、そこには「ヴェッキオ橋」が架かっている。この橋はちょっと変わっていて、橋の上にお店が並んでいるのだ。普通に通り過ぎるとただの商店街のようで、とても自分が橋の上にいるとは気がつかないような感じ。しかしなんでまた橋の上に店が並ぶようになったんだろうか。

 主な見所を回った後は、「レプリカ・ジャージ屋台」へ。いくつかの店を見た中では、シニョーリア広場の兄ちゃんの店が一番種類も多く、値段も安かった。ローマ、ユーヴェ、ラツィオ、インテル、ACミラン、その他マンチェスターU、バルセロナなどイタリア以外のチームもある。色とりどりのジャージには人気選手の背番号と名前がプリントされている。これはあれこれ見ているだけでも楽しい。ローマのユニフォームでは、やはりトッティとバティストゥータが人気の様子。次に来るのが我が「ナッカータ」。地元ローマの露店ではモンテッラなんかも置いていたが、フィレンツェにはなかった。

 さて、駅で荷物をピックアップして宿に戻ろう。
 芸術の花咲く都を味わう


宿からドゥオーモのクーポラが見えた
 翌6月17日朝、目が覚めると鐘の音が聞こえた。イタリアではどこにいても毎正時に教会の鐘の音が聞こえる。これが何とも旅情をかきたててくれていいものなんだが、朝はまた格別。ベランダに出てみると右手にドゥオーモのクーポラが見えた。鐘の音はジョットの鐘楼からだろうか。

美術館前には長蛇の列
 この日は、前日入らなかった美術館に行ってみた。シニョーリア広場近くにある「ウフツィ美術館」だ。ここには相当な数のルネサンス美術が展示されているらしい。駅で列車の予約をしてからのスタートだったので、午前9時半に美術館前に着いたときにはすでにものすごい数の人が並んでいた。列の最後尾には待ち時間約60分という表示が出ていたので、まぁ仕方ないと並んだものの、結局入れたのは3時間後。作品を見始めたときには疲れきっていた(予約しておけばよかった)。

 しかし、入ってすぐの廊下に並んでいた、歴代のローマ皇帝の胸像を見て元気を取り戻す。カエサルに始まり、実際の初代皇帝アウグストゥス、クラウディウス、カリグラ、ネロと続く。これはまさに塩野さんの世界。

 何といっても釘付けにされたのはカエサル。この男があれだけのことを成し遂げたわけか。研ぎ澄まされた頭脳と、それを隠す柔和な性格。同僚の執政官や元老院議員たちといった高官から配下の一兵卒に至るまでを魅了したのが、この男。当然周囲の女性たちも皆、カエサルのファンであったという。

 続いてヴェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌスなどと並ぶと、最近彼らの話を読んだばかりだけに感慨も深い。ヴェスパシアヌスは平民階級からの「たたき上げ皇帝」だったというが、胸像の印象もまさにそんな感じ。ずんぐりとした顔はいかにも気風のいいおやじという感じで、ともに闘った兵士たちからも親しみをもたれていたんじゃないかと想像できる。

 この後は、ボッティチェッリの『プリマヴェーラ(春)』『ヴィーナスの誕生』といった、高校時代に美術の教科書で見たような名画を眺める。ラファエロ・コーナーなど、小さな部屋ごとにテーマが分けられている美術館を、ほぼ一周。最後にマルティーニの『聖告(受胎告知)』を見学した後、ランチをとって宿へ急いだ。

 そう、試合が午後3時から始まるのだ。
 フォルツァ、ルォーンマッ!


ローマ・サポーターが発煙筒を炊きまくる
 駅でスポーツ紙を、バールでジェラートを買い込んで、テレビのあるダイニングルームへ。日本の報道でもよく耳にするイタリアの有名紙『ガッゼッタ・デッロ・スポルト』の別版(?)、『ガッゼッタ・スポルティーバ』の一面には、大きな見出しの下に優勝を争う3チーム(ローマ、ユヴェントス、ラツィオ)の主将のカラー写真が載っていた。新聞紙上も盛り上がってる(『ガッゼッタ〜』紙の紙色はピンクだった)。

【左上】超満員のスタディオ・オリンピコ 【右上】モンテッラ
は緊張気味に入場 【左下】バティも気合が入る 【右下】イ
ンタビュアは濡れて燃える
 この日、宿のおじいちゃんは地元フィオレンティーナ対ナポリ戦のチケットが手に入ったと言って、スタディオへ出掛けていってしまった。そのため、マユゲひとりでの観戦となってしまったが、それでも盛り上がった。セリエAの試合を生でまるまる見るのは初めてだし、イタリア人実況の興奮ぶりがまた見ているこちらを煽る。

 試合はご存知の通り、まずトッティ、次にモンテッラ、最後にバティという役者三人がきっちりゴールする、ローマファンが泣いて喜ぶような展開。我がナッカータも後半に出場、優勝を決める試合終了の笛がなった瞬間ピッチに立っていた。数日前に歩いたあのローマの街で、ヒデが日本人初のセリエA優勝を味わっているかと思うと興奮した。

 試合後のロッカールーム取材の様子が放送されたのも、「おまけ」のようで楽しかった。バティはベンチの上で飛び跳ね、トンマージは泣き、普段は冷静なトッティが歌っていた。ヒデの様子は映らなかったが、ロッカーにはいなかったのだろうか。インタビュアが、祝い酒(こちらではシャンパーニュ)を掛けられて至福の喜びを感じている、という様子は日本と同じ。ジャイアンツ優勝時のTXの某女子アナを思い出し、胸くそが悪くなったのも束の間、カフーの笑顔がそれをかき消した。
 さらば忘れ難き街、フィレンツェ


宿のご主人と奥さん
 翌6月18日(月)、とても快適だった宿ともお別れ。宿のおじいちゃん、おばあちゃんにも挨拶をする。いろいろと気に掛けてくれ、いつも笑顔で話しかけてくれたこのご夫婦には、まさに「グラッツィエ!」。これを読んでいる皆さんも、いつかフィレンツェを訪れることがあって、駅前で宿を探し、この二人の顔を見つけることがあったら、安心して泊まってください。

ありがとう。また会おう、フィレンツェ。


2001.06.18 フィレンツェにて

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