mayugeのダラダラ放浪紀 ニッポン人が無性に憧れる国。イタリア (Italy)

「ローマ」篇 その2 (Rome-2)


 古代ローマへタイムトリップ!

◆エスクィリーノの丘


木陰で新聞や雑誌を読み耽るローマ市民
 さて今日はローマ市街の南を歩こう。南部には旧ローマ帝国時代などの遺跡が多い。宿から「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」の前を抜け「エスクィリーノの丘」へ向かう。この丘、塩野七生読者なら聞いたことのある名前だと思う。ローマの地形状の特徴としては、中央を蛇行して流れるテヴェレ川と、いくつかの丘が挙げられる。塩野七生さんの「ローマ人の物語」シリーズを読んでいるとその丘がいろんな場面で出てくるのだ。エスクィリーノ、パラティーノ、ヴィミナーレなんて名前を聞くと、胸が高鳴る感じがしてしまう。

 さてこのエスクィリーノの丘には「ドムス・アウレア」という庭園がある。確か、皇帝ネロが計画したものの市民の反対で頓挫したとかいう「都市内大緑園計画」みたいなものじゃなかったか? 日本帰ってまた読み返してみよう。現在のドムス・アウレアは博物館を中心に静かな公園になっていた。最終的にはダメ皇帝の烙印を押されちゃったネロの願いは、その後結実していたということなのかな?
◆コロッセオ


コロッセオの円周に沿って歩く
 ドムス・アウレアを抜けると目の前にはコロッセオが迫ってきた。

 でかい。近くで見るとマジででかい。

 四階建ての部分が円の半分くらい残っている。石だけで四階建て。紀元前にこんなものを建てたということ自体もすごいが、その時代にここで市民向けエンターテイメントを開催して選挙民の機嫌をとるという、「政治」をしていたというからこの国の歴史の深さを感じる。

映画「グラディエイター」を思い出す
 入場券売り場の人の列が大変なことになっていたので、中に入るのは次の機会に譲ったが、ぽっかりと開いた門のようなところから内部が少し見えた。ここで奴隷の闘剣士たちが猛獣を相手に戦わされていたかと思うとぞっとする。

チィ〜ズ。オー、ベーネベーネ。
 コロッセオのフォロ・ロマーノ側には、これまた映画を彷彿とさせる剣士姿の輩が多数いた。観光客に声をかけ一緒に写真を撮ってついでに金もとるという商売なのだが、この姿の四、五人が客待ちしつつ何やら現代の普通の会話らしき話をしている姿が何かおかしい。格好はバリバリの古代なのに、ポケットの携帯が今にも鳴り出しそうな感じだ。なかでもカメラを手にしているオマエ! 君が一番おもしろい。

今日は馬車一台だけ
 コロッセオの脇には「コンスタンティヌスの凱旋門」があった。各地での反乱を制圧した執政官たちにとって、首都ローマで凱旋式を挙行するのが最大の名誉であったというから、かつてここを通ったパレードも相当大規模なものだったに違いない。この門の前の道は、ローマ帝国の大動脈のひとつ、アッピア街道に続くというから、ブリンディシの港から上陸して行軍してくるとそのままここに着いたってことになるのだろうか。想像は膨らむ。
◆パラティーノの丘


この広場では一体何が……
 コンスタンティヌスの凱旋門脇の小道を上がっていくと、そこには「フォロ・ロマーノ」が広がる。その左手が「パラティーノの丘」だ。ここ一帯は旧ローマ帝国の政治の中心地。全ヨーロッパを動かす政策がここで次々に決められていったわけだ。国の最高決定機関、市民集会や毎年の執政官選挙もここで行われていたのか――。またまた空想に耽る。

今は建物の遺跡が並ぶだけだが……
 入場券を買ってパラティーノの丘に上がってみると、意外に広くて驚いた。本を読んでいたときは、もっと小さな場所をイメージしていたのだが、さすがに大国の中心地、歩き応えがある。

水槽のようなものとか

劇場のようなものとか
 これはここパラティーノの丘に限ったことではないが、旧ローマ帝国時代の遺跡には曲線をうまく取り入れた建造物が多いと感じる。石でうまい具合にアーチをつくったりしているのを見ると、昔の人は相当頭が良かったんだだろうなとつくづく感心してしまう。

遠くからのほうがシルエットがよく分かる
パラティーノの丘を下りたところからは、コロッセオがまた目に入った。

カプトゥ・ムンディ(世界の首都)の面影が……
 フォロ・ロマーノをゆっくりと抜けて「カンピドリオの丘」に登る。振り返って見てみると、ここからはフォロ・ロマーノが一望できた。
◆カンピドリオの丘


ここにも「S.P.Q.R.」

昔から鍛えてたのね
 カンピドリオの丘では、市民のための水飲み場を発見。そこに記されていた文字は、あの「S.P.Q.R.」。これは、かつて執政官などが演説をするときに、まず初めに聴衆に呼びかけたフレーズの頭文字。正確なところは忘れてしまったが、「議員(並びに市民、だったか)諸君!」のような意味だったと思う。今でもローマのあちらこちらに見かける文字だ。マンホールの蓋にも彫ってある。現在はどんな意味をもっているのだろうか。

 てなことを考えながらテヴェレ川を右手に見て坂を下りる。すると、だだっ広い平らな草原に出た。かつての競技場だろうか。ここでふと思い当たることがあった。そういうことか。博物館などで彫像を見ていると、大昔の男のマッチョさに驚かされることが多い。腹筋は見事に割れているし、肩から大胸筋にかけてや、大腿三頭筋なんかも相当なものだ。当時ジムなんてものはなかっただろうし、ベンチプレスやレッグプレスをどうやっていたのかと思っていたのだが、なるほど、こういうところで飛んだり、走ったり、投げたり(?)していたわけか。タッチフットを離れ、すっかりダレダレ生活のマユゲは、木陰のベンチで猫背になって休憩を取ったのち、古代への空想空間を後にした。

 現代の空間に戻ったら、帰りのイスタンブールまでのエアチケットを買いにいかねば。


2001.06.15 ローマ にて

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