mayugeのダラダラ放浪紀 ここがホントにヨーロッパ文明発祥の地 !? ギリシャ (Greece)

「アテネ」篇  (Athens)


 ハイシーズン週末のアテネは注意すべし


車内はガラガラであった

トロリーバスも多い

ピレウスの駅
 ピレウスのゼアマリーナからはバスを駆使して地下鉄の駅へ。エーゲ海の島々での夏を満喫したマユゲ、6月8日(金)午後、いよいよギリシャ本土へ再上陸。

 ピレウスの駅は、地下鉄といっても地上にあった。丸屋根の終点駅でいかにもヨーロッパ的な感じだ。列車は途中から地下に潜り、約二十分ほどでアテネ中心地北部にあるオモニア広場駅に到着。

 ギリシャ国鉄のペロポネソス駅に近いこのエリアで安宿を探すが条件がいまひとつ折り合わず断念。コーヒーショップで一休みの後、もうひとつの安宿街シンタグマ広場方面を目指す。バックパックを背に汗をかきかき歩くものの、まだまだ結構距離があったため途中でまた地下鉄に乗る。

シンタグマ広場
 再び地上に出るとそこは文字どおり広場。大きな交差点の真ん中のスペースを都合上広場にしたようなオモニア広場とは違って、こちらシンタグマ広場はきれいに整備された公園のようになっている。

 サングラスに帽子、ガイドブック片手にデイパックを背負った観光客たちが多く見受けられる。さすが大観光都市。その分観光客を狙ったひったくりや悪徳観光業者なども多いと聞くので注意も必要。

 まずは引き続き拠点となる宿探しだ。しかしこれがなかなか苦労したのであった。シンタグマ広場周辺、とくにプラカ地区と呼ばれる一帯は、アテネの代名詞、アクロポリスの丘を望む人気スポット。当然その分宿泊施設もピンからキリまで無数にあるのだが、観光ハイシーズン到来、さらに週末を控えたこの日、ロークラスの安宿でも満室が続く。そろそろポッと行ってポッと泊まれる季節でもなくなってきたのだろうか。

 クラスを上げて中級ホテルも含め十軒以上まわっても収穫ゼロ。そのなかのひとつではかなり腹立たしい応対までされる始末。怒ったので名前を挙げるが、「アフロディテ・ホテル」。フロントでこちらからHelloと声をかけるやいなや、スーツ姿の中年ホテルマンはマユゲを一瞥、「No! No room.」と吐き捨てるように言って手元の書類に視線を落とすではないか。ひど過ぎないか、それ。バンコクのサヤーム地区の安宿と変わらないな、ここも(3月16日「サムイ〜バンコク」篇参照)。その前に訪れた「ホテル・アドニス」のご主人は、まず「I'm sorry, 」と言ってくれた上で、申し訳なさそうな表情で満室なんだと断ってくれたぞ。たとえ表面上だけであったとしも、その気持ちが嬉しいじゃないか。え? 違うか、この野郎!

 さらにマユゲを怒らせたのはアフロディテ・ホテルのその後の対応。一度ホテルを出ても怒りが収まらないマユゲは、入手していたホテルリストのこのホテルの欄に赤ボールペンで「ダメ、ホスピタリティなし」と目立つように英語で書き込み、それを持って再度フロントマンのところへ。赤字が見えるように欄を指差して、「このホテルは、リストのこの欄のホテルに間違いはないか?」と聞いてやったところ、日本のガイドブックに悪口を投稿されたらヤバいと思ったのか、返答が一変。部屋を用意するという。しかしその答えかたが致命的であった。

 「オーケー、泊めてやる。何故ならお前が気に入ったからだ」

と来たもんだ。気に入ってもらって泊めていただくって、何かヘンじゃないか? 一泊四、五千円のホテルでも、客を選ぶらしい。アジア人を蔑視してやがんのか、この野郎。どうせ俺がスーツ着て日本の会社の名刺持って来たら揉み手ですんなり泊めるんだろう。何処にも属さず、一個の男として生きている今のマユゲ、ここでプライドを通す。「何でさっきと答えが違うんだ?」との質問に返答を見出せないホテルマンを尻目にアフロディテ・ホテルを後にする。

 しかし強がってみたものの、ないものはない。さらに何軒か当たっても空き部屋はなく、結局プラカ地区に数多くある旅行代理店のひとつで戸を叩いた。元気一杯のおばちゃん店主は、根気よく電話で当たってくれ二軒の候補を挙げてくれた。そのうち、シンタグマ広場に近い古い中級ホテルをとってもらうことにした。手数料が乗っているにしても許容範囲の値段。やれやれこれでひと安心だ。しばらくおばちゃんとおしゃべりをしていたところ、しきりに「この辺りはマフィアが多いから気をつけなさい」と言う。何でも自分も旅行者だと偽って一人旅の男性に声をかけては、ぼったくりバーに連れて行って大金を請求するという手口の犯罪が多発しているらしい。おばちゃんはマフィアは日本語でなんというのかと聞いてきたので「ヤクザ」と教えてあげると、帰りがけにさっそくその日本語を使ってくれた。

 「ビーケアフォー。メニーメニー、ヤクザ、ヒア。グッドラック!」

 サンキューおばちゃん。

 古代が残る街


アドリアヌス門
 アテネ二日目、プラカ地区を散策してみる。まずは東南のはずれにあるアドリアヌス門。この門はローマ時代(2世紀頃)に建てられたという。交通量が多い現代の道の傍らに、1900年も前の建造物が当たり前のように佇んでいる。残っている部分は何とも薄っぺらいのだが、その歴史は奥深い。

ゼウス神殿
 アドリアヌス門の近くにはゼウス神殿がある。こちらもローマ時代(2世紀頃)の建立だという。今は15本だけになった柱も、かつては104本あったとのこと。残っている柱だけでもその巨大さに圧倒されるが、これが林のように立っていたというから驚く(写真右側にある二本の柱の足元に立っているのが人間です)。

 そんな昔にこれを設計した奴がいたというのがまず凄いことだと思う。しかもどうやって材料を調達して、またどうやって設置したんだろう? 本当にこれを建てたのは現代のギリシャ人の祖先なんだろうか?

アクロポリスの丘
 ゼウス神殿があるだだっ広い広場からは、アテネの顔、アクロポリスの丘が一望できる。ニョキッと突き出た巨大な岩盤の上に城壁のような土台が築かれている。パルテノン神殿の列柱も見える。この様子はなんとも神聖な印象を与える。天空の城、神様たちが住む場所といった雰囲気だ。古代の人たちもこうやって見上げていたに違いない(写真の中央右下にはアドリアヌス門も見える)。

「風の神の塔」越しにアクロポリスの丘が見える
 次はプラカ地区中心部を目指す。みやげ物屋やタベルナが並ぶキダシネオン通りを抜け、「風の神の塔」へ。この白い石でできた八角形の小さな塔は、かつて日時計や風見の役割を担っていたそうだ。

 その横には「ローマン・アゴラ」がある。ローマ時代初期(紀元前1世紀〜紀元後2世紀頃)の市場兼集会場跡だ。

 ここプラカ地区にはこうした古代遺跡がゴロゴロしているのだ。ノースリーブにホットパンツという際どい格好をした若い女の子たちが多いのとは実に対照的。

ギリシャにヒデが!
 さらにイフェストウ通りという商店街をぶらつく。狭い通りの両側に衣料品や靴の店などひしめく市場のようなところだ。その中にある露店でサッカーのレプリカジャージを売っているのを発見。ペラペラとめくって見ていると、何とASローマの背番号8、NAKATAのものもあるではないか。さすがはサッカー、ワールドワイド。

アテネの銀座通り「エルムー通り」
 そこからは大通りエルムー通りに抜け、折り返す。この道は真っ直ぐ行くとシンタグマ広場に突き当たるのだ。こちらの通りはイフェストウ通りよりもモダンな感じ。ブティックや宝飾店、化粧品店なども多く、地元の若い女性陣がショッピングに勤しんでいた。
 古代ギリシャおそるべし、現代ギリシャ???


イロド・アティコス劇場

パルテノン神殿へと続く階段
 アテネ三日目、今日はいよいよアクロポリスの丘に登る。風の神の塔付近の階段を丘へ向けて登ると、遺跡へと続くゆるやかな坂に出る。絵はがきや飲料水を売る店を横目にその坂を登ると、アクロポリス遺跡の入口だ。チケット売り場には既に長蛇の列ができていたが、じっくりと並んで入場。

 入ってすぐのところからは、ふたつの円形劇場が見える。そのうちイロド・アティコス劇場というほうでは、6千人収容という観客席を使って、今もコンサートなどが行われているという。

 そこを進むとパルテノン神殿へ続く階段に出る。

あぢー
 多くの観光客が記念撮影しているその階段の隅には、完全にやる気のない輩の姿も……(写真右)。


入ってすぐは、パルテノン神殿の「裏側」
 階段を登り切ったところにあるプロピレア(前門)をくぐると、正面にパルテノン神殿の姿が見えてくる。

 でかい。とにかくでかい。

 高さは十メートル以上あろうかというドリア式の列柱がズラリと並び、見る者を圧倒する。紀元前438年にできたというこの大理石の神殿、さすがに傷みが激しいらしく内部では修復作業が行われていた。

 近づくにつれ柱のかたちがよりはっきり見えてくるのだが、その中央部が膨らんでいるのが良く分かる。この神殿の魅力が、「直線と曲線が織り成す美」だというのがなんとなく感じられる。ここでガイドブックに目を通してみると、こちら側は西側であり、実は裏に当たるとか。反対側の東は断崖絶壁に接しているために門が造れなかったとか。ま、どっちが表でも裏でも構わないのだが。

神殿の「表」
 列柱を見上げながら反対側にまわると、そこにはアクロポリス博物館がある。遺跡の入場チケットに博物館のフィーも含まれているのでブラブラと覗いてみたりする。

 館内には、かつて神殿を覆っていた数々の彫刻像やレリーフ(浮彫り)が並んでいた。「破風(はふ)」と呼ばれる、列柱と屋根のあいだの三角部分にあった彫刻像の一部も展示されていたりして見応えがあった。周囲のポリス(都市国家)との抗争や、巨大建造物の工事に駆り出されていたからなのだろうか、彫刻で描かれた男たちは皆マッチョであった。

街のいたる所から見えるアテネの象徴
 ひとしきり神々の世界を堪能したところで丘を下りる。感動の記念にと、みやげ物屋で絵はがきを選んでいると、地元の若者たちがナンパ行脚しているところに出くわした。

 振り返って改めて丘を仰ぎ見て、古代の人類が築いた素晴らしい建造物の並ぶ様を見上げるのだが、やはりどうも腑に落ちないことがある。

 本当にこいつらの祖先が造ったの?


2001.06.11 アテネにて

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