mayugeのダラダラ放浪紀 ここがホントにヨーロッパ文明発祥の地 !? ギリシャ (Greece)

「サントリーニ島」篇 (Santorini)


 楽園と現実


青い空に白壁が映える

崖下はオールド・ポート
 深夜のサントリーニ島到着から一夜明けた6月2日(土)。天気は快晴。さっそく宿をとったフィラの街を歩いてみる。

 まず目につくのが、白に統一された建物の壁。これが真っ青な空と絶妙に調和する。数多くあるカフェの開け放たれた店先が何とも気持ちよさげだ。

楽園「フィラ」
 五分も歩くと、この島の看板とも言える絶景ポイントに至る。火山活動によって出来た特異な地形。このフィラの街は、紺碧の海を見下ろす崖の上にある。そこをホテル、タベルナ、カフェなどの白壁がびっしりと埋めている。

 なんとも非現実的なこの光景を見ていると、イメージしていた「エーゲ海の楽園」がまさにここにあるという感じだ。そのためか、この街では新婚さんらしき日本人のカップルを多く目にした。ツアーが来ているのだろうか。

 確かに、この場所は一番大切な人と来たいと思わせるものがある。しかしあるみやげ物屋で、彼らの面白い(?)やりとりが耳に入ってきたりして、ちょっと考え直したりもしてしまった。その二人は二十代中頃といった年格好だった。

 新妻「それも買うの?」
 新夫「駄目?」
 新妻「んー……」
 新夫「ナイキのこの靴、前から欲しかったんだよ」
 新妻「でも二人で五万円までって決めたじゃん」
 新夫「……分かったよ。止めるよ」
 新妻「いいよ。いいよ別に。ジュンちゃんが欲しいなら買ってもいいよ」
 新夫「……要らない」

 ここまで来てナイキの靴を買おうというのもどうかと思うが、奥様のほうもこれまた「大したもの」だ。早くも、「財布の紐を預かるのはアタシよ」、「この家で一番権限があるのは誰なのか認識しなさい」という、暗黙の、それでいて強烈なプレッシャーをかけ始めているようだ。この優男、新婚旅行にしてすでにカミサンに「握られて」いる……。怖い怖い。

崖には階段が……

そこをロバが観光客や物資を担いで登り降りする
というのが名物らしい
 午前中はそんなフィラの街を歩きまわって過ごす……。
 食っちゃ、寝


ギリシャ版串焼き「スブラキ」

肉汁ジュージューの「ギロ」
 午後はビーチへ足を延ばしてみようか。だがその前にまずはランチ。数あるおしゃれなタベルナは素通りして、バーガースタンドのような店へ。若者のバックパッキングが文化として定着しているヨーロッパでは、こういった貧乏バックパッカー向けのような店が何処に行ってもあってありがたい。

 何枚も重ねられた肉塊が、電熱器の前でゆっくりと回転している。これがこういった店の看板代わりだ。これはギロといって、肉汁滴るその肉塊をナイフで外側から削ぎ落として食べる料理だ。それをピタと呼ばれるクレープ状のパンに挟んで食べる「ギロ・ピタ」が、ギリシャでのマユゲの命をつないでいる。素朴だが、野菜なども一緒に挟まれていたりして結構食べ応えがある。

レッドビーチ入口近くにあるタベルナ

レッドビーチの奇観
 食事を済ましたらバスに乗ってビーチへ。狭い島内ながらいくつかあるビーチのなかで、最も空いていそうなレッドビーチという場所を選んでみた。バスを降りてからは岩場を五分ほど歩かなければならない。その最も高いところからはビーチ全体を見下ろすことができた。ここもかつての火山活動の跡が忍ばれるようなところである。波に浸食された赤土の崖が生々しく迫ってくる。このちょっとした隠れスポットで居眠りをしながら午後のひとときを過ごす……。
 旅での出会いから教わるもの

 再びバス停へ。しかし調べておいた時刻表通りにバスはやってこない。他に待っている人もいない。自分の見間違えだろうか。傍らの岩に腰掛け、足をブラブラさせながら呆然と待つ。二十分ほどして一台の小型自動車が通りかかった。その車は通り過ぎて行きかけたのだが、何かを思い出したように停車すると、バックでこちらに戻ってきた。開けっ放しの窓の奥から若い男が声をかけてくる。「何処まで行くんだい?」。フィラまで行きたいのだがバスが来ないというと、親指を立てて助手席を指差す。どうやら乗せてくれるらしい。おおーそれは助かる。さっそく、辛うじてくっついているという感じのドアを開けて、彼のオンボロ・プジョーに乗り込む。聞けば彼は宅配便のドライバーらしく、今は配達中とのこと。「悪いけど、何軒か寄っていくがいいかな?」。もちろん、そんなの全然ノープロブ。


オンボロ・プジョーの助手席にて
 かくして観光の島の心優しき若者の車でヒッチハイクさせてもらうことになった。助手席の足元には、宅配便によくある紙製のブリーフケースや小包などがいくつか転がっている。それらを何か個人事業の事務所のようなところや片田舎の自動車工場に届けてまわるのに付き合う。彼は届け先で荷物を持って車を降りると、配達先の人とひと言ふた言笑顔で世間話をしては荷物を手渡し戻ってくる。その様子はなんとも微笑ましいものだった。この人はちゃんと地に足をつけて生きているんだな。大切な何かを教えてもらったように感じた。
 旅では、必ずしも「出会う」とは限らない

 翌6月3日(日)は、また別のビーチへ。今度はペリッサ・ビーチという人気のスポットだ。週末も重なってペリッサ行きのバスは満員、ビーチへ着くとすでに多くのパラソルが開いていた。しかし混んでいるといっても、真夏の湘南のような貧乏くささはない。ゆったりとした間隔をとって置かれたサマーベッドで、皆思い思いの時間を過ごしている。それが、ビーチリゾートとは何たるかを心得た文化圏だということを物語る。

 マユゲもそれに習い、ヨーロピアンたちの間に入って浜辺に寝そべってみたが、何ともサマにならない。ついつい飲み物やタバコに手を伸ばしたり、陽射しにあわせてベッドの角度を変えてみたりと忙しなくなってしまうのだ。ゆったりとリゾートを楽しめるのは、マユゲにとってはまだまだ先のことのようだ。でもま、せっかくの太陽、精一杯日焼けしたいな。

 そんなこんなで一人日光浴を楽しんでいると、アジア人のカップルがやってきた。彼らは仲良くマットを広げ、二人ならんで「焼き」を開始する。しばらくして同じくアジア人と思われる男女のグループも続く。この二組は別々の観光客のようだが、何故だかこうして「同じ匂いのする」ところに集まってしまうものらしい。そのうちグループのほうの一人がカップルの女の子に話しかける。別に熱心に聞こうとは思っていない(つもり)のだが、自然と耳はダンボになってくる。

 するとグループのほうは香港から来たとのこと。どうりで英語が上手なはずだ。一方のカップルの女の子は日本人だという。それにしては英語の発音がメチャメチャきれいだなと思っていると、香港の青年が代弁してそれを聞いてくれた。その質問に答えた彼女は、「アメリカの大学に留学中なのだが今は休みで旅行中」だそうな。何しっかり聞き耳立ててんだ俺は、と思いつつもさらに耳を傾けるマユゲが驚いたのはその次の会話。その日本人の女の子の横で既に熟睡している彼は、「さっき会ったばっかり」だという韓国の青年だというではないか。彼の体中に熱心にサンオイルを塗ってあげていたので、てっきり新婚さんかと思っていたのだが……。これにはびっくり。こういう出会いってあるんだ。でも何で俺にはそういうドラマは起こらないの?

 一人でビーチに来るということがより一層不自然かつむなしいものに感じられる。そして自分の運命に釈然としないものを感じつつ、ふて寝にいそしむことを決めるマユゲであった。
 嵐のなかの船出


波が不気味なしぶきを上げる
 さらに明けて6月4日(月)。今日はサントリーニを発ち、また次なる場所へ向かう。夕方になって崖を降りるバスに乗り、強風が拭き抜けるなかアティニオス港のフェリー乗り場へ。

 港はすでに船を待つ乗客で相当に混み合っていた。ここでちょっと「ヤな感じ」だったのが、荒れ模様の海。高波が堤防に打ちつけられて不気味なしぶきをあげている。果たして船は予定通りやってくるのか。出発の二時間前という早い時間に来てしまったが、果たして吉と出るか凶と出るか。

満載してきた船は、また満載して出て行く
 出発予定の19:00より少し早い午後六時過ぎに大型船がやってきた。近づいてきた船はターンをした後、お尻側を向けてゆっくりと桟橋に接岸するのだが、これが結構揺れている。酔わなければいいなと思いつつ荷物を担いで、乗船口の係員にチケットを見せるがこの船はマユゲが乗船する「POSIDON号」ではないとのこと。やはりこの天候のせいでダイヤが乱れているようだ。まだまだ時間は掛かりそう……。

 その先に到着した船には溢れんばかりの客が乗っていた。船のお尻からは彼らが止めど無く「排出」されていく。一方これから乗る客も半端ない数。やはりハイシーズン間近、船便もかなり混み始めているようだ。そう言えば今晩の夜行フェリー、キャビンが予約でいっぱいだったためにデッキで一夜を明かすことになるんだよな。揺れる船内で場所とりか……。トホホ。気がつけば強い風に横殴りの雨が混ざり始めている。ますますもって不吉。

 なんだか凶が出ている気がする……。


2001.06.04 サントリーニ島 にて

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