mayugeのダラダラ放浪紀 ここがホントにヨーロッパ文明発祥の地 !? ギリシャ (Greece)

「クレタ島」篇  (Crete)


 ロドスよさらば

 5月30日(水)。早朝も早朝、午前3時に起床、身支度を整えると、そーっと部屋を出る。ロドスシティはまだ真っ暗だ。昨夜は、翌朝起きれるかどうか心配で寝つけないというおかしな状態だったが、その緊張のおかげか、目覚ましのアラームは一回しか鳴らさないで済んだ。こういう時は何故か起きれるもの。昨日のうちに、英語を全く話さない宿のおばあちゃんに身振り手振りで「明日は船で朝早く出発するから、先に宿代を払いたい」と説明してお金を渡しておいたので、鍵は部屋に置いたまま。大丈夫かな。おばあちゃん意味分かってたかな……。

「KORNAROS号」には煌煌と灯が点る
 さすがにまだ誰も起き出してきていないだろうと思っていたのだが、大通りまで出ると若い人たちの姿が何人か見受けられる。どの顔もしっかりと酔っぱらっている様子。彼らは前の晩から飲んでいて、今帰るところなのだ。そうか俺にとって今は「今日」だけど、彼らにとってはまだ「昨日」なんだな。なんかちょっと変な感じ。

 コマーシャル・ハーバーと呼ばれる港まで来ると、大きなフェリーが停泊しているのが見える。船にはすでに灯りが点っており、荷を積み下ろすトラックが行き来していて、ここだけはもう朝の活気を漂わせている。トラックの脇を抜け船に乗りこみ、前日予約しておいたキャビンに荷物を降ろす。キャビン内には二段ベッドがふたつ。すでに先客が二人、豪快にいびきをかいている。

 船の出発は午前4時半。今日は再び船でエーゲ海を南西へ、クレタ島へ向かう。予定航行時間は11時間。先は長い。ここは俺ももうひと眠りしておくとするか。
 「思い込み」に注意せよ

 光が入ってこないキャビンで目を覚ましたのは午前9時過ぎ。思ったよりも長い間眠ってしまったようだ。それでも到着まではまだ六時間余り。その後はデッキに出て甲羅干しをしたり読書をしたりしてちょっとしたクルーズ気分を楽しむ。

 途中の島で何度か寄港を繰り返したのち、午後4時前、東西に細長いかたちをしたクレタ島の東部に位置する港町、アギア・ニコラオスに到着。この日のうちにクレタ島中部の街イラクリオンに向かうつもりだったので、アクセスに関する情報をゲットすべく埠頭近くにあるツーリスト・インフォメーションに入る。

 ところがここで少々手間取った。何故かというと、マユゲがおかしな「思い込み」をしてしまっていたからだ。恥ずかしながらわたくし不肖マユゲは、この「イラクリオン」という都市名を「イクラリオン」だとずっと思い込んでいたのである。おそらく「クラリオン」という言葉に聞き覚えがあったためだろうが、日本語の地図などでこの名前を初めて目にしたときから勝手に自分が読みやすいように読んでいたのだ。これでは話が通じないはずである。ツーリスト・インフォのお姉ちゃんに、「イークラリオン」とか「イクラーリオン」とか「イクラリオーン」とかアクセントを変えて何度説明しても反応は「???」。お姉ちゃんに地図を見せてはじめて「オゥ、イラークリオン!」と分かってもらった始末。思い出すだけで恥ずかしい……。
 歴史マニア


ベニゼル広場にある「モロシニの噴水」
 6月1日(金)。前々日のうちにアギア・ニコラオスからバスで移動してきた「イラクリオン」での一日が始まる。ホテル近くのエルグレコ公園を抜け、街一番の大通り、25アウグストゥ通りへ出る。ここには旅行代理店がいくつも軒を連ねている。実はそのなかのひとつで、今晩のフェリーチケットを昨日のうちに買ってあるのだ。

 では日中は何をするのか。今日はこの街のメイン、いやこの島のメインスポットである「クノッソス宮殿」の遺跡を見学に行くのだ。そこで通りの中ほどにあるベニゼル広場前のバス停から行き先表示を確認した上で市バスに乗りこむ。

 ところがここのバスは事前にチケットを買っておかなければ乗れないシステムらしく、早々に降ろされてしまった。ブォーン。バスは待ってくれるわけもなく、さっさと行ってしまった。チケットは街中にあるキヨスクで買うことになっているらしい。今までもいろいろな街を訪れたが、特にバスという乗り物は各国各都市でルールが違う。毎度のことだが、なんとかならんものかと思ってしまう。近くのキヨスクでチケットと、ついでに飲料水を買い、次のバスでいざクノッソスへ。

奥さん「ちょっとあーた、
これはいつの時代のものなの?」
旦那「ummm……」

 バスを降りると、強烈な陽射しでクラッとくる。それもそのはず、ここは地中海、時はもう六月なのだ。周りの観光客たちもみな帽子をかぶりサングラスをかけている。さっそく入場券を買って遺跡の中へ。

 ここで気づいたのは、これは当たり前だがヨーロッパの人が圧倒的に多いということと、そのなかでもカップルが多いということ。老いも若きもみな「つがい」で遺跡見学だ。マユゲの感想では、東南アジアでもトルコでも今まで訪れた遺跡と呼ばれるようなところではこうしたヨーロッパのカップルが多かった気がする。

「ンー、イッツ、ワンダフォー」
 海外旅行というと「豪華ホテルに泊まって、昼はアミューズメント施設やアウトドア・アクティビティ、夜は高級レストランで舌鼓」というのが定番の日本人とは違って、ヨーロッパの人は歴史好きなのだろうか。でもこういうの、いいと思うなー。個人的には。

「将来はこんなところに住まわせてあげるよ」

「アー、ダルフェンザスウェメン」(Ah, dolphins're swimming!)
彼らの楽しげな会話を聞きながら、マユゲもガイドブックを片手にブラブラと見学してまわる。

「Oh! なんてビッグなのかしら」

「日陰はヴェリヴェリ、クールねー」
 かなり広範な宮殿跡をひと回りした後、遺跡出口付近にある売店で一休み。「世界で一番おいしいオレンジジュースだよ」という口上に躍らされた格好だ。
 次なる島へ


クレタ島に沈む夕陽
 夕方ホテルに戻り、預かってもらっていた荷物を引き揚げてイラクリオンの港へ歩く。埠頭にはもの凄い数の乗客がごった返していた。まさにハイシーズンの到来といった風情だ。

 MINOAN LINESという船舶会社の名前と船名を確認し、列に並ぶこと小一時間。必死に横入りを阻止しながら無事乗船。今度は四時間程度の航海なのでキャビンは必要ない。人と荷物で足の踏み場もないほど混雑しているデッキに、何とか一人座れるスペースを確保、まずいサンドイッチとビールで腹ごしらえをしながら出航を待つ。

 午後八時、「EL GRECO号」は大きな汽笛の音とともにサントリーニ島に向け出発。クレタ島に別れを告げるべく、北上を開始するフェリーのデッキから顔を出してみる。するとちょうど、営業時間の長い、夏の地中海の太陽がまさに一日の仕事を終えようとしているところであった。


2001.06.01 クレタ島 にて

BACK
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送