mayugeのダラダラ放浪紀 ここがホントにヨーロッパ文明発祥の地 !? ギリシャ (Greece)
「ロドス島」篇 その1 (Rodos-1)
高速艇が紺碧の海を切り裂く |
5月28日(月)午前九時、トルコのマルマリス港を後にし、エーゲ海に突入する。水中翼船と呼ばれるこの船はその名の通り船底に「翼」を持っている。港に停泊しているときは船底を海面につけているのだが、いざ走り出すとその「翼」が張り出してきて、船の腹を浮かせちょうどお尻だけ水面につけるようなかたちで疾走する。水の抵抗を押さえて前進するスピードを上げているのだろう。そのためウイリー状態の船内では、乗客はみなシートベルトの着用を促される。
しかし生まれて初めてのエーゲ海上。その様子を見たくてちょっとだけ窓のところまで行ってみた。海の色は信じられないほど鮮やかなブルー。まさに“The
color of the sea was more blue than blue...” これには痛く感動した。我々が慣れ親しんできた海の色とは何だったのか。そう思ってしまうほど、その海の色は美しく、マユゲにとって新鮮なものであった。
船はその青を切り裂いて進む。白いしぶきが青と混ざり合い、船が海上に残す一本の筋は、エメラルド色に輝いていた。
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ギリシャ GENERAL INFORMATION
正式国名 |
ギリシア共和国
(Hellenic Republic) |
首 都 |
アテネ
(Athens) |
国旗 |
面 積 |
131,944平方キロメートル |
人 口 |
1,047万人
('96) |
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言 語 |
公用語=ギリシア語 |
宗 教 |
ギリシア正教 |
民族構成 |
ギリシア人(97%)、トルコ人(1%)、ユダヤ人他(2%) |
通 貨 |
ドラクマ(GRD/Dr.) 1Dr.=約0.4円 ('01年5月28日) |
時 差 |
日本より−7時間
※サマータイム(4〜10月頃)は−6時間 |
電 気 |
220V、50Hz |
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ロドスシティの城塞が見えてくる |
紺碧の海を疾走すること四十分、前方にはロドスの島影が見えてくる。近づくにつれ、港の奥に堅固な城壁が築かれているのが見える。これが「あの」城壁か。あれに見えるロドスシティは、かつて中世の東地中海においてキリスト教勢力最後の砦となった城塞なのである。
五百年近く前に、スルタン・スレイマンの命を受けたトルコの大軍は、マユゲが今来たのと同じ道筋を、同じ色の海をこうして渡ってきて、聖ヨハネ騎士団が立てこもるこの城塞を目にしたのだ。もっとも、スルタンの親衛隊であるイエニチェリ軍団が脱走を許すまいと背後で目を光らせていたトルコの兵士たちにとっては、その海の色など眼中になかったかもしれないが。
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穏やかな海 |
ワンコも浜辺でくつろぐ |
こうして、イスラム特有の「月と星」がデザインされた国旗の国トルコから、キリスト教のシンボル「十字架」が象られた国旗の国ギリシャへ上陸ということになった。
港にあるイミグレーション・オフィスで入国審査を済ませ、近くのATMでギリシャ通貨ドラクマを引き出した後、城壁に向かって歩き出す。すると港近くの浜辺には、まるでかつての激しい戦闘などなかったかのような、なんとも平和な光景がひろがっていた。
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城壁の内側 |
門越しに「青」が見える |
城壁の門をくぐる。現在城塞内は旧市街と呼ばれている。ここの道には石畳が敷き詰められており、中世の雰囲気が今も色濃く残っている。建物の多くも石でできているようだ。景観を保つ努力がなされているのだろうか、みやげ物屋やレストランもうまい具合に城壁と調和している。
この土地がもつ歴史とは裏腹な何とも穏やかな雰囲気を味わいつつ、観光客で賑わう広場を抜け、今夜の宿、インターナショナル・ユースホステルを目指す。そのユースは、マルマリスのユースの兄ちゃんが薦めてくれたところだ。地図を頼りに入り組んだ細い路地を進み、人に尋ねたりもしながら、やっとのことで宿を探し当てた。
修道院を彷彿とさせるような質素なつくりのユースに荷を降ろし、やや早めのランチをとりに出掛ける。実はここギリシャでは食事も楽しみにしていたのだ。少しぶらぶらと歩き、ピタゴラ通りという頭のよさそうな名前の道でちょっとよさげなタベルナ(レストランのこと)を見つけた(もっともここロドス旧市街のタベルナはどこも雰囲気がいいのだが……)。店頭に出ているメニューで料金をざっと確認して店に入る。
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イポクラツース広場の噴水 |
グリークサラダでランチ |
注文をとりにきた人の良さそうなおじさんと相談の上、ギリシャ料理の代表格であるムサカとグリークサラダ、そしてグラスワインの白を頼む。
ムサカというのはラザニアのようなもの。ミートソースと茄子とマカロニが重ね焼きされていて、それを切り分けて出してくれる。ちょうど豆腐一丁のような状態だ。
一方のグリークサラダというのはいわゆるギリシャ風サラダ。生野菜にブラックオリーブが添えられ、その上に山羊のチーズ、フェタがのっかっている。オリーブオイルを掛けていただくのだが、そのオイルがまた香ばしくて絶品。こってりしたチーズやオイルが、さっぱりした野菜と不思議なほどよく合う。これにはハマった。なんてことないシンプルな料理ほど力がある気がする。
食後に一度宿へ戻ると、ドミトリータイプの部屋のルームメイトが現れた。到着したばかりだというそのスウェーデン人の青年は、明るく挨拶を交わすやいなやいきなり服を脱ぎ出したので少々驚いた。彼は後ろを向きこそしたが、まっしろな桃尻を臆面もなく見せて短パン姿に着替えると、脱いだ衣類を大きなビニール袋に放り込み、「ランドリーに行ってくる」とこれまた明るく言い残し部屋を出ていった。北欧の人は性の面で開放的だと聞いていたが、人前で平気でパンツまで脱ぐのか……少々あっけにとられたマユゲも、彼に続いて部屋を出た。
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騎士団通りの石畳 |
ニャンコも日陰でくつろぐ |
向かうは、「グランドマスターの宮殿」。別名「騎士団通り」と呼ばれるイポトン通りのゆるやかな坂道を登る。陽射しが強烈なので、日陰になった部分を選んで歩く。
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宮殿の正面 |
宮殿の中庭 |
坂を登りきったところが宮殿だ。かつてトルコ軍に対した聖ヨハネ騎士団の団長フィリップ・ド・リラダンが住んでいたところだ。連日続くトルコ軍の総攻撃へ対応するため、当時ここでは毎晩のように作戦会議が開かれていたらしい。
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かつての司令室だろうか |
歴代団長の肖像画なども |
「アントニオ・デル・カレット」、「ジャン・ド・ラ・ヴァレッテ・パリゾン」、「ジャンバッティスタ・オルシーニ」……。塩野七生著『ロードス島攻防記』に登場する、若き三人の騎士たちもこの城で行われる会議に顔を出していたのだろうか。いくつもある部屋を通り抜けながら、当時に思いを馳せる。
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聖ジョルジュ砦だろうか |
壁に食い込む砲丸が生々しい |
城を出て、城壁のまわりを歩いたりもしてみた。単行本付録の地図を見ながら、この壁の守りを担当していた人たちはどんな思いだったのだろうか……、この砦の下で一日に何千ものトルコ兵が死んだのか……などと想像を膨らませる。今でこそこうして何事もなく時間は流れているが、まさにこの場所で血みどろの殺し合いが行われていたかと思うと背筋がぞっとする思いだ。
こういう歴史を思うにつけ、何故神様は人間を不完全に造ったのかと考えてしまう。今現在だってこの地球のどこかでは、誰かが誰かを殺しているのだ。人はいつの時代も互いに殺し合うことを止められずに、ずるずると現在まで生きてきてしまった。つくづくその哀しい宿命を呪わずにはいられない……。
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オミロウ通りで戯れる子供たち |
ソクラツース通りを行き交う観光客 |
気を滅入らせつつ城壁をひと周りした後、再び平和を満喫する人々で賑う城内に戻った。
「平和」って何なんだろうね。
2001.05.28 ロドス旧市街 International Youth Hostel にて |
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