mayugeのダラダラ放浪紀 アジアとヨーロッパにまたがる国。トルコ (Turkey)

「パムッカレ」篇 (Pamukkale)


 いきなり、無力

 5月26日(土)早朝、デニズリに到着。11時間半乗ったバスを降りる。偶然出会い、トルコを横断するかたちで一緒に旅してきたカナダの元気娘たちとも、ここでお別れだ。デニズリではオトガル内にバスが入らず、まさに道端で降ろされてしまうかたちになった。やれやれと思いつつバックパックを担いで歩き出す。チャイでも飲みたいなと財布の中を覗くが、現金がほとんど残っていないのに気づく。そうだ、そういえば昨日、バスに乗る前にギョレメのATMで引き出そうとしたらエラーが出たんだった。さっそくここデニズリの街中でATMを探すが、これがなかなか見つからない。道行く人に尋ねてもいまいち要領を得ない。

 困った。金がないことには何もできん。むむー、腹も減ってきた。いかんいかん。重い荷物を担いで歩いていると汗が果てしなく出てくる。喉も渇いてきたぞ。でもさっき水飲み切っちゃったよな。どうする、本当に困ったぞ。かといって銀行の窓口が開く時間でもないしな。ていうか銀行自体ないじゃん、この街。どうなってんのよ、いったい。ブツブツと日本語を喋る怪しい男は、やがて力尽きて道端に座りこんだ。

 無力だ。金がないだけで、こうも何事も出来ないのか。口を広げられて、無力の味を無理矢理味わわされているようだ。それはちょっと大袈裟か。一人で旅をしていると、時にこういうことがあるものだ。「お前まだ金ある? 悪いけどちょっと貸して、エヘ」なんてことはできないのである。ただATMだけを求めてさまよい歩くことになるのだ。

 でも哀しいかなマユゲは根っからの楽観主義者なのである。こういうときも結局、「ま、死ぬわけじゃないわな」と開き直ってしまうのである。だからマユゲの旅には「劇的なエピソード」というものがない。「その時、神は舞い下りた……」なんてドラマチックな展開はないのである。こんな何の変哲もない男が生きていく上でのトラブルなんてものは、世界中で起こっている悲劇に比べれば実に取るに足りないことであり、結局最後にはどうとでもなってしまうのである。旅暮らしを始めてから何度となく異国の地で途方に暮れたことはあるが、その時々は本気で困っているものの、生きてさえいれば最終的には何事もなかったかのように時間は流れる。

 「ケセラセラか……。フフ、まさにその通りだな」なんて、世の中を悟ったように呟いて、目を細め煙草をくゆらせてみるものの、体は正直であった。「キュル、キュルルー……」。駄目だ。マジ、腹減った。

 白い世界遺産

 結局今回も何とかATMを探し当て、昼前にはローカルバスでデニズリを後にする。こういった地元のバスは停まるところが実にアバウト。後ろのほうで誰かが声を上げると、運転手はギュっとハンドルを切り停車する。ボタンなんか押さない。というかボタンなど、ない。道端に乗りたそうな人が立っていれば、またギュっと寄る。停留所なんか、ない。我々素人が見ていても、どの人が「乗りたそうな人」なのかは分からない。きっと何らかこの土地独特の周波数の「波」がお互いのこめかみの辺りから出ているのだろう。長距離バスとは趣の異なる乗り物に、文字通り揺られること約三十分、本日の目的地に到着だ。


ん? 側溝が妙だぞ
 こうしてやって来たのはパムッカレ。世界遺産にもなっている大規模な石灰棚で有名な温泉地だ。バスを降り、目の前にあったロカンタで遅い朝食を摂る。客はマユゲ一人。この世界遺産温泉地、週末だというのに実にのんびりした雰囲気である。すると向かいの小屋から一人のおじいさんが出てきて、マユゲが食事をしているロカンタに入ってきた。

 ナニナニ、もしかして俺?

 と思う間もなく話し掛けてくる。どうやら彼は地元旅行代理店の社長さんらしい。先ほど彼が出てきた小屋は、事務所なのだ。何処から来て、何処に泊まって、何処へ行く。挨拶半分、商売半分でそんな会話になる。こちらを信頼させようといろいろと話を続けているが、おじいさん、大丈夫、何となく第六感で信頼できそうって分かるよ。というわけで次の目的地までのバスチケットを彼から買うことにした。

 ブランチを食べ終わって代金を払うと、おじいさんには宿は自分で探してみると言い残してロカンタを出る。ガイドブックに乗っていた良さそうな安宿に行ってみようと思っていたのだ。

 街を少し歩いてみると、さっそくこの街らしいところが目につく。道の両脇の側溝を流れる水が白濁しているのだ。やはり石灰棚の街、温泉の街。これだけでも何か嬉しくなってしまうのは何故だろう。

 探していたホテルはすぐに見つかった。触れ込み通り庭には子供用のプールがある。改めて名前を確認してみると、これも間違いない。本にあるオススメ文句は「親切なオーナーと奥さんの美味しい料理」。いいねいいね、期待しちゃうね。うまいもん食いたいね。

 しかし二階にあるレセプションに行ってみると、そこにはソファでうたた寝こいている若造が一人だけ。留守番かと思ったが、話してみればこれがオーナーであるかのような口調。それでいて面倒くさそう。ちょっとイメージ違うなぁ。部屋は値段に対して充分快適そうであったのでチェックインをする。とりあえず今晩の料理を楽しみにするとするか。 部屋で夜行バス明けの恒例行事であるシャワーを浴びたら、さっそく石灰棚に足を延ばしてみよう。



一面、真っ白だ

不思議とバスクリン色
 入口で入場券を買って中に入ると、目の前には真っ白な「壁」が立ちはだかっている。これがその石灰棚というやつか。確かにその規模には度肝を抜かれる。

 ゆるやかな坂を上がっていくと、上から流れてくる水が溜まった池のような場所に出る。水の色が、やや青みがかった白であるのが何とも不思議な感じだ。ツムラの温泉入浴材シリーズにまったく同じ色があった気がする。色が色だけに池というよりプールといった雰囲気である。

見よ、この「不」透明度
 ここからは靴を脱いでいかねばならない。サンダルを手に歩く自分の足元を見ると、足首まで程度の水深だというのに足指が見えないほどに濁っているのが分かる。

半ばプール状態

お爺ちゃんも孫と水遊び
 壁を斜めに横切るように、そのゆるやかな坂道は続く。そしてその途中には何枚もの皿状の池が次々に現れる。

 ここは先ほどの街中とは違い、人がごった返していた。海外からの観光客というより、国内からの湯治客のほうが多いといった印象だ。多くの人が水着持参で水浴びを楽しんでいる。水はどちらかといえば冷たいのに大丈夫なのだろうか、この人たちは。なかには、いいお年頃の女の子たちも水着姿で歩いていたりするので、こちらもいいお年頃ながらちょっとドキドキしてしまう。最近のムスリムはこういうのオーケーなんだろうか。

段々畑状になった石灰棚
 プール状の皿が続く坂道を一歩外れると、そこは立入禁止の崖になっている。流れる水によって長年に渡って運ばれてきた石灰質が、少しずつ固まってできた見事なまでの石灰棚。これもまた絶景である。

上から見ると「皿」なのが分かる
 坂を登りきったところには平原がまた広がっている。この辺りはちょうど台地になっているようだ。そこにある公園からは、先ほど見てきた石灰棚を上から見下ろすことが出来る。今登ってきた坂に、人々がごま塩のようになって動めいているのも見て取れる。
 遺跡もあるぞ、パムッカレ


遺跡と混浴
 なんとこのパムッカレ、坂の上の平原にはローマ時代の遺跡が点在しているのだ。トルコにローマ遺跡。ちょっと不思議な感じがしてしまうのだが、実際にそれらを目にすると、古代ローマ帝国がかつて小アジアと呼ばれたこの地をその支配下においていたということが改めて実感される。

 アポロ神殿近くの温泉プールでは、その浴槽の底に遺跡から出土したらしき柱のかけらなどが沈んでいたりもする。今はこうしてトルコの人々が温浴を楽しんでいるが、そもそもこういった公衆浴場というもの自体がローマ人の文化なのである。国は滅んでも、文化は残るものなんだと少々感じ入る。

トルコにもコロシアム?

まさにローマ式
 ここには円形競技場もある。入口のアーチ型の石などは、水道橋に代表される典型的なローマ様式だ。

今日の主賓は子供たち
 円形競技場の中に入るとその迫力に圧倒される。ハドリアヌス帝時代の建立というから、その歴史は紀元前二世紀までさかのぼることになる。三千年以上前にこんなものを造ったかと思うと、その時代の人々の想像力、技術力に畏敬の念を抱かずにはいられない思いだ。何にもなかった時代に、こんなばかでかい立体造形物をイメージできたなんてとても信じられない。昔の人ってホント頭良かったのね。人間は、特に想像力の部分では、進化ではなく後退している気がしてならない。

 客席にあたる部分の中央には、貴賓席らしき特別なスペースもはっきりと残っている。もちろん復元されたものだとは思うが、その細部まで配慮の行き届いた設計をみるにつけ、いっそう感心してしまう。

三千年以上前か……
 客席の最上部に座り、かつて行われたであろう催し物について、しばし想像を膨らます。

古(いにしえ)の通勤路
 再びアポロ神殿近くに戻り、今度は北東のドミティアン門に向けて歩く。ここには直線の石畳の道が残されていて、我々観光客も自由に歩けるようになっている。思うに、ローマ時代の兄ちゃんたちも肩を並べて毎朝この道を通勤していたに違いない。

 「よぉ、タナカティウス。今日あたり帰りに一杯どうよ?」
 「ゴメン、今日はカミさんが飯つくって待ってんだよ。また今度な」

 古(いにしえ)の通勤路を歩きながら、そういった面では今も昔もきっと変わらないんだろうと何故か確信してしまうマユゲであった。



2001.05.26 パムッカレ Aspava Pansion にて

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