mayugeのダラダラ放浪紀 アジアとヨーロッパにまたがる国。トルコ (Turkey)

「カッパドキア」篇 (Cappadocia)


 カッパドキア観光の拠点、ギョメレ

 5月23日(水)午後一時。マラティヤの心暖かい青少年たちの見送りを受け、バスで西へ向かう。旅は道連れ、マユゲと同様カッパドキアへ向かうダナ嬢とセルヴェア嬢も同じバスだ。カイセリを経由して約七時間半、ネヴシュヒルという街に到着。ここからカッパドキア散策の基点となるギョレメという村までは三人でタクシーを利用。カナダ娘ふたりは旅の時間に制約があることもあって、これまでは国内線飛行機を利用して移動してきたらしく、このロングドライブには少々くたびれた様子であった。

 時刻は午後八時をまわっているものの、まだまだ薄日が残っている。ギョレメのオトガル自体は小規模なものであったが、まわりにレストランやホテルの看板も多く、村としては田舎の温泉町のようになかなか旅行者には快適な場所のようだ。若いバックパッカーたちが夕刻の涼しい風を楽しむように散歩している様子も見受けられる。

 オトガル内には小さな観光案内所もあり、内部の壁には安宿の手作り広告が並んでいる。ここは世界的な観光地でもあるためか、宿は供給過剰の状態のようだ。どこも料金はUSドルで表記されている。トルコでは激しいインフレのため通貨の価値が安定せず、トルコリラ表記ではたった数ヶ月で料金が二倍近くまで跳ね上がってしまうようなこともあるらしく、こういった観光地ではドル表記やマルク表記が結構見られるのだ。

 奇岩で有名なこの村はその地形のせいで坂が多い。案内所内の広告と外にある地図を照らし合わせて検討するものの、結局は看板を頼りにオトガル近くのホテルに泊まることにした。カナダ娘たちも同じホテルでツインの部屋を確保したようだ。今後の予定までは聞いていなかったのだが、果たして彼女たちとはどこまで一緒になるんだろう。


 ホテルのフロントの兄ちゃんは、トルコ人にしてはやや「薄め」の顔をした青年。落ち着いていていながらも一生懸命なナイスガイだ。何かスポーツでもやっているのか、鍛えられた筋肉の持ち主でもある。着ている服もカジュアルだがなかなか洗練されている雰囲気。何と言っても、「フレンドリー」が鼻につくようなこともなく、ゲストとの程よい「一線の引きかた」を心得ているようだ。これもこの地区のホテルの、競争原理が成せる業なのだろうか。客商売、第一印象は大事だとつくづく思う。

 バス・トイレ付きの部屋も小奇麗で快適そうだ。ここギョレメには、名物にもなっている奇岩をくり貫いた「洞窟ホテル」というのが多いそうだが、ここもそれに似せた「なんちゃって洞窟」風に仕立てられていた。ベッドサイドのランプだけ点けたりすると、ごつごつした壁の不思議な模様が浮かび上がって趣深い。

 同じように地上階のダイニングホールも洞窟風だ。なんとここには大画面の衛星テレビがあって、トルコの山奥にいながらにして全世界の番組が見られてしまうのだ(NHK衛星放送のチャンネルもあった)。100近くあるチャンネルのなかでサッカーを放送しているところがあったので何となく観ていると、フロントの兄ちゃんがやってきた。彼はサッカーが好きらしく、聞けばイスタンブールを本拠とするガラタサライというチームの大ファンということであった。

 「トルコはワールドカップに出られそうなの?」と聞いてみると、まだ今は予選を闘っている最中だが代表チームは必ずやってくれるに違いないと熱く語ってくれた。「もし出場できたら日本に来るかい?」という質問で、マユゲが来年のワールドカップ開催国の人間だと気づいたらしく一瞬目を輝かせたが、やはりそう簡単に行けるはずもないようで、彼は複雑な表情で「アイホープソー」と答えたのだった。そりゃそうだよな。ホテルを休みにするわけにも行かないだろうし。仕事もしないでこんな呑気な旅暮らしをしている自分の「異常さ」と、たまたま経済的に豊かな国に生まれたという、自分の努力とは関係のない「偶然の幸運」を改めて感じてしまうマユゲであった。

 カッパドキア一日ツアー・アルバム

 翌5月24日(木)。今日はカッパドキアをあちこち見てまわるために地元の旅行代理店主催のツアーに参加する。前夜に、ホテルの兄ちゃんに相談していくつかの中から一日観光のタイプを頼んでおいたのだ。時折天井から石のかけらが落ちてくる洞窟風ダイニングでトルコ風ブレックファストを平らげると、迎えに来てくれた旅行代理店のバンに乗り込む。

 三列シートの最後列に座ると、前に座った旅行者たちが声を掛けてきてくれた。驚いたことにマユゲ以外の四人はみんな女の子。お互いに簡単な自己紹介をしたところでは、みんなの出身地はニュージランド、オーストラリア、カナダと実に様々。もともと友達どうしもいれば今日知り合った者どうしもいるようだ。しかし彼女たちはすでに意気投合完了らしく、すでに遠足前の小学生のように楽しそうにキャーキャーやっている。みなネイティヴ・イングリッシュ・スピーカーなので彼女たちどうしの会話はまるでチンプンカンプンなのだが、気さくなギャルたちは「借りてきた猫状態」のマユゲには分かりやすい英語で話してくれるので助かる。

 ドライバー兼ガイドを務めてくれる旅行代理店の青年が運転席について、いざ出発。途中、また別のホテルに立ち寄ってドイツ人の若夫婦が加わる。よかった、これで男が三人になった。一時はどうなることかと思ったよ。


見どころ(1)「ウチヒサシュ」
 さてここからは、カッパドキアの雄大な光景のいくつかを写真で紹介しよう。

 まず訪れたのは「ウチヒサシュ」。やや赤みがかった石灰岩地質の向こうに、塔のような巨大な岩が聳えている。内部はくり貫かれていて城塞となっているとのことだ。しかしこれが一枚岩からできているというから驚きだ。塔のまわりにも無数の建物が群集していてなかなか壮観だ。

 ここの駐車場には何故かラクダがいた。ただしうかつに写真を撮ると料金を請求されるというので、注意しつつまたバンに乗って移動。


見どころ(2)「カイマクルの地下都市」
 続いてバンは、なんてことのない田舎の村へ入ると、とある小屋の前で停車。我々はバンを降り、入口から続く階段を降りていく。すると強烈な陽射しから一転、薄暗い洞窟が延々と続いている。ここが「カイマクルの地下都市」だ。

 なんとこの岩窟住居は地下八階にまで達する(!)とのことで、いっときは二万人もの人々が暮らしていたという。キッチンや寝室などの各世帯ごとの部屋だけでなく、食料貯蔵庫、井戸、ワイン醸造所、学校などの公共スペースもしっかりと造られていた。

 古くは紀元前400年にもさかのぼる歴史をもつというこの洞窟都市には、中世のある時期、アラブ人から逃れてきたキリスト教徒が住んでいたこともあるらしく、教会として使われていた部屋までもあった。

 また、外敵の進入を食い止めるための丸い大きな岩が要所要所に置かれていたりもする。敵が入ってきたらその岩を転がして入口を塞いでしまうというわけだ。まったくインディー・ジョーンズの世界である。

 ガイドさんはひと通り説明を終えると質問タイムを設けてくれる。西洋の人々はこういうときにモジモジすることはない。女の子たちがガンガン質問をするのは、見ていて気持ちがいいくらいである。マユゲもふと疑問に思ったことを聞こうとしたが先を越されてしまった。

 「この閉ざされた洞窟の中で、一体換気はどうしていたの?」

 これは不思議である。壁にろうそくを点すための小さな穴が掘られていたりするところを見ると、一酸化炭素中毒になったりすることはなかったのだろうかと考えてしまう。「それはいい質問だね」と始めるガイドさんの答えによると、通気孔も実に巧みに張り巡らされているらしい。腰をかがめながらさらに進んだ所々で、ガイドさんがその通気孔のいくつかを指し示してくれた。これらの縦穴は空気を通すだけでなく、収穫した葡萄を外から投げ入れたりするのにも使われていたそうだ。こうして、間違いなく人間が生活をしていた痕跡を見ると、中世の人々の暮らしが目に浮かんでくるような錯覚を覚える。



立ち止まらないでー
 さて次にバンは「ウフララ渓谷」に向かう。道中、羊の群れの移動に足止めを食ったりするのは、ホノボノ小休止といったところか。

見どころ(3)「ウフララ渓谷」

この小川があの岩を削ったとは……
 川によって侵食された岩が深い谷を形作っている。切り立つ崖の高さは100メートルちかくはありそうだ。我々一行は、崖の階段を降りていく。

この崖にも洞窟が……
 この崖の中腹にも、岩をくり貫いた住居のじょうなものがあった。聞くところによればこれもまたキリスト教の教会であったとのことである。

内部にはフレスコ画
 なるほど、天井にはイエス・キリストを描いたフレスコ画がはっきりと残っている。今でこそイスラム教国であるここトルコにも、かつてキリスト教徒の人々が生活をしていた証がこうして残されているのだ。

遅れをとらずに行こう

子羊はお昼寝
 我々はさらに渓谷を進む。こうしてグループで、引率のガイドさんについて大自然の中を歩いていると、なんだか本当に遠足気分になってくる。

 川を渡り、反対岸を折り返し歩いて戻ったところで昼食。さすがにおにぎりのお弁当でこそないが、オープンエアのレストランで気持ちの良いランチである。

 女の子たちはメニュー選びに余念がない。年齢的には食べ盛りというわけでもなさそうだが、食べることに関してはやはりこだわりを見せる。悩みに悩んだ末にやっと決めたものの、注文してからまた「やっぱり変えていい?」なんて言い出す子もでてきてガイドさんをちょっと困らせたりしていたが、それもご愛敬だ。さらにその子が隣の子の料理が届いたのを見て、「やっぱり私もこれにする!」と言ったのは、彼女のジョークであった。これにはガイドさんも肩を竦めていた。



見どころ(4)「トルコ富士」
 食後は再びバンで移動。途中、ガイドさんは道端でバンを停め、写真撮影タイムを設ける。見れば雪を頂いた山が聳えていた。なだらかなすそ野を持つその山は、我らがニッポンの富士山を彷彿とさせる。あれが、数億年前に噴火してこの土地の不思議な地層をつくったというエルジエス山だろうか。一同、思い思いにシャッターを切る。

▲見どころ(5)「セリメ」
 続いて訪れたのは、「セリメ」と呼ばれる地域。ここもまた奇岩が織り成す光景が見事だ。少し離れたところからの写真撮影タイムの後、その奇岩を巣食うように掘られている洞窟に実際に足を運んでみることになる。

これは現代の人
 バンを降りて白い土の上り坂を上がっていくと……、ありました、ここにも人々が生活していた跡が。ここもひとつの集落として完結していたらしく、ひと通りのインフラが整備されているようであった。岩の壁には入口らしき穴がいくつも開いていて、それぞれが住居のようになっているのだ。

今でも神聖な空気が漂う
 入口が別々でも実は中は通路でつながっていたりする。狭く暗い通路を腰を屈めながら進んでいくと、別の入口から入ってきたツアーのメンバーにばったり出会ったりするのだ。

 その中には教会もあった(写真右)。そこには未だに何とも言えない神聖な空気が漂っているように感じられる。

コレコレ、ばち当たるぞ
 女の子の一人がその洞窟部屋の壁に掘られたステージのような場所に立って記念撮影をしはじめる。これは不謹慎とは思いつつも、彼女はそこにぴったりとはまっているように思えた。彫りの深い顔と手足の長さ。まるで彫刻が立っているようだ。

 でもそのへんにしときなよ。

ガイドさん(左)はここでも質問責め

ここから外敵を監視していたのだろうか


見どころ(6)「ケルヴァンサライ」
 不思議な空間を堪能した一行はバンに戻る。そして向かったのが「ケルヴァンサライ」。ここはいわゆる「隊商宿」、商人のための街道沿いの宿場である。現代でいうトラックドライバーたち用のモーテルといったところか。

 ここカッパドキアを含む中部アナトリア地方は、古くはヒッタイト時代から東西の交易ルートとして栄えていたとのこと。当時の商人たちは盗賊対策のため大人数で移動することが普通であったらしく、彼らを受け入れる宿も必然的に大きく頑丈なものであったらしい。宿泊施設だけでなく、ハマムや食堂、ラクダをつなぐ厩舎などの跡もあった。

 我々一行はケルヴァンサライの見張り塔に登り、そよ風に吹かれつつ服にくっつくゲジゲジに似た草を投げ合って遊んだ。

見どころ(8)「アヴァノス」
 まだまだ終わりではない。次に訪れたのは、「アヴァノス」という街の焼物工房。焼物は、これまたヒッタイト時代から続くという伝統産業とのことである。近くを流れるクズル川の粘土質の土が焼物に適しているそうだ。職人さんたちがろくろを回しているところや絵付けをしているところなどを見学し、チャイのサービスをいただく。

 この後みやげ物コーナーで店員さんからの執拗な販促活動を受けることになったが、買わずに見るだけでも充分に楽しめた。素焼きの花瓶もあれば、精緻な文様の上に上薬を塗った高価そうな皿もある。皿に描かれているのは、スルタンのハレムの裸の女性たちであったり、芸術と呼ぶにふさわしい幾何学文様であったり……。トルコの各時代の伝統的な絵柄が勢揃いといった感じである。

遠くローズバレーを臨む
 そして気がつけば夕方。一行は宿のあるギョレメへ向けて帰途につくことになった。途中、車窓からはローズバレーと呼ばれる一帯を臨むことができた。

 ここカッパドキアの地層は、白っぽい部分があったり、赤っぽいのがあったり、黄色いのがあったりと、いろいろな表情を見せてくれる。ローズバレーはその名の通り赤い地層が織り成す、岩の芸術となっているとのことだ。今日のツアーではローズバレーの近くまでいくことはできない。でも明日ももう一日カッパドキアに滞在する予定だ。明日はあの辺りまで行ってみるとするか。

 気がつけばカッパドキアの奇岩の虜になりつつあるマユゲであった。



2001.05.24 ギョレメ Blue Moon Motel にて

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