mayugeのダラダラ放浪紀 アジアとヨーロッパにまたがる国。トルコ (Turkey)

「ネムルト」篇 (Nemrut)


 史上「最悪臭」の夜

 5月22日(火)明け方、トルコ東部の小さな街マラティヤに到着。首都アンカラから夜行バスで12時間以上に及ぶ長旅であった。しかしこの行程、時間以上に疲れた……。今までの人生のなかで、寝苦しさランキング上位に入る夜であったのだ。


 まずアンカラのオトガルの乗り場では、発車時刻になってもマユゲが買ったチケットの会社のバスが来ず、近くにいた別のバス会社の係員にチケットを見せて尋ねたところ、発車番線が違うとのこと。下のフロアに行けと身振り手振りで言っている。うっそ、そんなはずないんだけど。しかしこれはやばいと、荷物を背負って駆け下りる。すると階下にも同規模の乗り場があった。ここにもバスが30台以上ずらりと並んでいる。ゲゲッ、果たしてマユゲが乗るバスはまだいるのだろうか。緊張が走る。各社色とりどりのバス。そのなかで何とか自分が乗るバスの色を発見。前もって調べておいて良かった。まだ荷物積み込み作業中のようだ。セーフ!  しかし、そこはさきほどの上階の番線とまったく同じ番号。何これ、どういうこと? 結局、フロア違いでも同じ番号があるということらしい。チケット売り場の係員さんよ、それ先に言いなさいよ。分かりにくいよ、ったくもう。

 いやー、でも間に合って良かった。やれやれと汗をふきふきバスに乗り込み、自分の番号の座席を探す。座席は八割がた埋まっているようだ。あった、ここか。自分の席に座ろうとすると、二人掛けシートのお隣は、ク○でかいトルコ人の青年(うわ、嫌な予感)。一応笑顔で軽く挨拶し、隣に座る。ゲゲゲッ、やっぱり。身長190センチ、体重100キロはあろうかというその青年、一人分の座席には収まりきれるわけもなく、こちらにケツの三割分くらいがはみ出してきているのだ。思わず、「はみだしてんじゃねーかよ!」という、さま〜ず三村みたいなそのまんまのつっこみを入れそうになる。最悪なのは、奴もマユゲに負けず劣らず汗を吹き出しているのだ。さらに、これがまた強烈なオイニーを発している……。これはまさしく肉食ヨーロッパ人のにほひ。ここで洗礼を食らうとは……。川平慈英だったら間違いなく目を細めて「クゥーッ!」と言ってるね、この状況(涙)。「寝苦しい」という言葉の本当の意味を知った夜であった……。


 マラティヤの街はまだ人々が動きはじめる前。まわりの店が開くまでバス会社のオフィスにご厄介になる。ソファにぐったりと腰掛け深呼吸を繰り返す。まだ鼻のなかに異臭が残っているようで気持ち悪いのだ。そんななか、バス会社の兄ちゃんがチャイを奢ってくれた。一杯の夜明けのチャイが、とげついた神経を和ませてくれる。ふー、うまい。チャイはホント「必需」だわ。


ジューシーな肉とフレッシュな野菜!
 午前8時を過ぎたところでオフィスを出る。本日の目的地ネムルト行きのツアーを手配してくれるという、ツーリスト・インフォメーションを訪ねるためだ。地図を頼りに事務所を探す。ある公園のなかに「ツーリスト・インフォはこちら」というような看板が出ていたものの、オフィスらしきものは見当たらない。ハテ?と思いつつ、その公園にあるテラス風のレストランで朝食を取ることにする。あんまり食欲ないなと思いつつも、ここは体のため、ドネル・ケバブを頬張る。
 トルコ男児、愛を詠う

 いったん食べはじめてしまえば食欲は出てくるもの。特にトルコのドネル・ケバブの肉は、その味付け、香りが絶妙なのだ。たいていのケバブ屋には、電気ストーブのような電熱器が店先にあって、その前でギャートルズに出てくるようなでかい肉の塊がゆっくりと回転している。その肉には各種スパイスがじっくりと染み込んでいて、食欲中枢を刺激するいい香りを発しているのだ。そして客の注文が入ると、店員の兄ちゃんが肉汁滴るその塊の表面をナイフで削り取る。これぞ究極のシズル。それを新鮮な野菜が載ったパンの上にまぶしてクルッと巻いて出来上がり。

 やっぱり食べたら元気が出てきたぞ。よしよし。さてもう一度ガイドブックを見てみるかと思ったとき、声を掛けられた。トルコ人のようだが達者な英語でネムルトに行くのかと聞かれた。そのつもりだと答えると、彼は自分はツーリスト・インフォメーションの人間で、ツアーをアレンジしているとのこと。ちょうど前日、日本人の旅行者二人を連れてネムルトへ行って帰ってきたところだという。なるほど、見れば日本人の女の子が二人立っていた。お互い簡単な自己紹介をして話を聞くと、そのトルコ人の彼が7人乗り程度のバンを運転してネムルトの山頂まで連れていってくれたという。山頂付近のホテルで一泊して今朝マラティヤに戻ってきたそうだ。

 トルコというのは特に、現地にベッタリ住み着いて、トルコ人悪徳じゅうたん屋と一緒になって日本人観光客を騙す日本人女性が多いところ。そんな中で向こうから話し掛けてきたこと、そして日本人の話を出して安心させようとすることが、まずピーンと警戒心を起こさせてしまう。それでも、条件を細かく確認しながら少し話をしてみれば、その男がどんな奴なのかは大概予想がつくもの。若干のうさん臭さを承知しつつもチャレンジするのがこういう旅の醍醐味だったりもするわけで、この男と条件をつめてみることにした。

 ツアー催行には最低四人のツーリストを揃えたい。これが彼の言い分。ちょうどこの時、テラスの別のテーブルで朝食をとっていたパツ金姉ちゃん二人組がいた。この時間、この場所(マラティヤ)にいるということは、まずネムルトを訪ねるつもりの旅行者だと思って間違いない。兄ちゃんはさっそく彼女たちに話を持ち掛ける。そしてやはりネムルトに行きたいという彼女たちの言い分も合わせてみんなで協議する。現在ツーリストは三人。もう一人集まらなければその日にはツアーを組まず、翌日の出発になってしまう。それではあと一時間待ってみようということになったが、結局現れず。仕方なく一人US5ドル分高くなるものの、その日にネムルトに出発しようということになった。

 ここまでくるとツーリスト・インフォの兄ちゃんともパツ金姉ちゃんたちとも、だいぶ親しくなる。出発までの時間、しばしの団欒。姉ちゃんたちの名前はダナちゃんとセルヴェアちゃん(日本語だとドナとシルビア?)。カナダ出身で、年齢的にはマユゲとそんなに変わらなそうだ。ダナちゃんは語学学校の先生をしているらしい。そう言えば「GOOD.」という言い方が、いかにも先生っぽい。ダナちゃんは落ち着きがあって、いつもデンと構えている。彼女がセルヴェアちゃんを紹介するときに、またまた落ち着き払って、
 「She is my friend, and she loves icecream.」
と言ったのがなんかおかしかった。これがカナディアン・ジョークか。


 しばらくすると、もう一人のトルコ人男性がやってきて会話に加わった。この男もツーリスト・インフォの人間らしい。ここマラティヤのツーリスト・インフォはこの二人で切り盛りしているらしく、彼らの名前は英語版の有名旅行ガイド「レッツ・ゴー」シリーズにも載っているという。いかにも誇らしげに言うので、一応我々としてもセルヴェアちゃんの持っていた「レッツゴー・ターキー」の当該ページを開いて、「おおー、ホントだ!」とちょっと大袈裟に驚いてみたりも。

 この、後から現れた男というのが抜群にユニークな奴であった。年齢40代前半、中肉中背、禿げ上がった額の上にオイリーな長髪がのっかっている。鼻の下には立派な黒い口髭をたくわえ、「ニッ」と笑ったときに見える歯はヤニで真っ黒。そしてしゃべり方がヤクチュウ(薬物中毒者)のような「ろれつの回らない感じ」なのである。

 話す内容はといえば、御多分に洩れず「口説き文句」の数々。それにしてもトルコの男は外国人女性観光客が大好きなようだ。イスラムの女性にはできないことをできちゃうから、という穿った見方もできる。通常こういうことをしゃべり続ける奴には嫌悪感が沸くものなのだが、こいつの場合はちと違った。とにかくファニーで憎めないのだ。別に女の子をどうこうしようというわけじゃなく、純粋に「いい気持ち」にさせようとしているようだった。まぁ、話し掛けられている本人たちがどう思っているかは別として。彼はドナちゃんに話しかける。

 「君のお父さんはきっとThief(泥棒)だったに違いない」
 「何よ! 何でそんなことが言えるのよ」
 「フフフ……。きっと君のお父さんは『空の色』を盗んだんだ。でなければ、君の瞳がそんなに美しいブルーのはずがない」

 おおー、メモ、メモ。しかしこれを臆面もなく言い切れるところがホンマモンである。

 ネムルトの頂へ


マラティヤの街もはるか遠くに
 午前中のうちに公園を出発。街中でヨーロピアンのバックパッカー二人組を見かけた我々は、バンを降り、一緒にネムルトに行かないかと誘ったのだが、先ほどのマユゲと同様、相当怪訝な顔で見返され、断られてしまった。まぁ、無理もないな。

 兄ちゃんが運転するバンは、マラティヤの市街を抜け山岳地帯へのびる一本道を進む。集落はほとんどなく、荒涼とした風景が続く。赤茶色の岩肌を見せる山間を抜けると、眼下には平地が広がる。目指すネムルトはさらにその先の山脈にあるということだった。

山村の子供たちも写真は大好き
 途中、山中のドライブインでトイレ休憩を挟み、砂利道をさらに進むと、ちょっとした村に出くわした。なんとここはツーリスト・インフォの兄ちゃんの生まれ故郷なのだという。大学で外国語を勉強した後、ふるさとに戻って仕事にそれを生かす。なかなか素敵なことだと思う。

 村には小さな学校もあり、その前でスピードを緩めたバンに子供たちが群がってきた。やはりここでも子供たちはメチャメチャ元気。「ヘロ、ワッツヨネーム、ハウオルダーユ」と口々に繰り返して大興奮状態。我々、カナダ代表と日本代表も、最初のうちは一つ一つの質問に答えていたのだが、子供たちの興味が年齢や名前にあるのではなく、ただ習った言葉を外国人にぶつけてみたいというところにあるのだと気づく。そりゃ、そうだよな。その気持ちなんか分かるよ。多少英語を話す日本人ってのも(例えば俺)、海外でネイティブじゃないイングリッシュ・スピーカーを見つけるとやたらと話したがったりするもんだからね。



頂の手前に突然ホテル
 子供たちに別れを告げてさらにもう三十分。雨が降るとたちまち通行不能になってしまうという、土をブルドーザーで固めただけのワインディング・ロードを上がっていくと、やっとのことでネムルト山の頂が見えてきた。先ほどから「耳ツーン」が連発していただけあって、腕時計を見ると標高はほぼ二千メートルに達している。それにしても、人が生活している気配がまるでないのだが、本当にこんなところにホテルなんかあるんだろうか。……と、頭の中で英語に訳そうとしていたら、ちょうど建物が目に入る。あったよー。でもこんな場所にホテルってものすごく不自然。富士山の測候所みたいだ。

 二階の部屋に案内され荷を降ろす。日没近くなったら山頂に出掛けようということなので、出発時刻まで各自湿っぽい部屋で過ごすことになった。標高が高いだけにベッドには二枚重ねの毛布が用意されている。ツインルームを独占なので最高で四枚まで使えそうだ、よしよし。それじゃまずはシャワーでしょ。昨夜は夜行バス車中泊だったのでシャワーが恋しい。道中みんなで心配していた停電もないようで、エレクトリック・ホットシャワーもなんとか使用できた。

 神秘! 天空の墓


「頭」が転がってる
 夕方、再び四人でバンに乗って山頂へ向かう。先ほどより急な坂を十分ほど登ると、ユネスコによって世界遺産に登録されているネムルト・ダーゥ(山)の頂に到着。

 ここは、紀元前一世紀にこの地方一帯を支配したコンマゲネ王国の王様、アンティオコス一世の墳墓となっているのだ。そしてそれを守るようにして並ぶという神像で有名な場所。どれどれとばかりに、ダナちゃん、セルヴェアちゃんとともに神像群のある場所へ歩いていく。

 すると山の西側にはどこから現れたのかと思うぐらいの大勢の観光客が群がっていた。そして下界を見下ろすかたちで人や動物の頭像が何体も転がっている。

美男子の横顔におばあちゃんもうっとり

美女の像も。でもお肌がボロボロ……
 これは何とも不思議な光景。「頭」だけでも人間の身長よりも大きい。なんでこんな人里離れた山の中に、こんなどでかい石像があるんだろう? 何のために? どうやって? なんで頭だけ転がってるの? 次々に「???」が飛び出してくる。

 ゼウス、アポロ、ヘラクレスといった神々にまじってアンティオコス一世自身の像もあった(写真右)。これって実際よりオトコマエに彫らせてたりするんちゃうの? 王様特権とかいって(笑)。

王様や神様だけでなく、ワシやライオンなど動物の頭も転がっていた

神々の胴体とセルヴェアちゃん
 頂の東側にまわると、先ほどの疑問に少しだけ解けた。こちら側には、神様たちの「胴体」がよりはっきりと残っていたのだ。横一列で椅子に座って、王の墓のと下界の安全を担っていたのだろうか。頭部は二千年の間に、数々の地震によって落っこちてしまったというわけだ。

 いやぁ、それにしても神秘的な光景だ。


真ん中に見える小さな白い塊がホテル
 山頂は風が強く、さらに日が落ちかけてきて寒さが足元から上がってくる。さてそろそろホテルまで戻るとしますか。

 車に向かう途中、もと来た方面を見下ろすと、荒涼とした山中にポツリと建っている我々のホテルが見えた。

 やっぱり不自然だ……。

トルコの人情に触れる

 夜はけっこう冷えた。最初は毛布二枚で寝ていたのだが、真夜中に寒さで目が覚める。すかさず隣の空のベッドからもう二枚引っぱがして、四枚掛け態勢でどうにか再び眠りについた。

 翌朝は朝五時前に起きて、山頂からの日の出を見学。日が昇る前の山頂は予想通り寒く、太陽の「じらし方」が腹立たしいほどであった。しかし、山頂の東側に並ぶ胴体だけの像に朝日が当たった姿は、これまた素晴らしいものであった。


あんず屋のショーウィンドウ
 ホテルに戻って朝食を済ませたら、もう下山。あっという間のツアーではあったものの、一見の価値がある何とも神秘的な場所であった。兄ちゃんには悪かったが、帰りの道はほとんど寝っぱなしでマラティヤの街に到着。カナディアン・ギャルズ二人組もマユゲと同様、次はカッパドキアを訪れるというので、一緒のバスを予約し、出発まで三人で街をブラついてみることにした。

 金物、野菜、衣料などいろいろな市場を覗く。その間よく目にしたのが、あんず屋。あんずはマラティヤの名産品なんだとか。微妙に違う幾種類かのあんずが店先に並んでいて、その色を見ているだけでもなかなか楽しい。すると、なかなかのチャレンジャーであるセルヴェア嬢、さっそくおやつ用にと店主と交渉を始めていた。

 話がいまいち通じずにたくさん買い過ぎてしまったというセルヴェア嬢のあんずをもらい、クチャクチャ食べながら再び街を歩く。といってもそんなに広いところでもないので、小一時間もするとスタート地点の公園に戻りついてしまった。ちょうど、アイスクリーム好きであるセルヴェア嬢お勧めのトルコ風アイス「ドゥンドゥルマ」の話が出ていたので、軽くチャイでもしながらアイスでも食いますかと、店を探し始めた。

 「ドゥンドゥルマ」というのは、アイスクリームなのにおもちのように伸びる独特な触感のものなんだとか。おお、それは是非試さなきゃならん、なんて考えていると、地元の若い子のグループが英語でマユゲに声を掛けてきた。女の子1、男の子2といういわゆる「ドリカム編成」の彼らは、只今英語を勉強中の学生なのだとか。とにかくツーリストと話をしたいらしい。トルコは英語の勉強が実に盛んだ。「俺は上手に話せないけど、ネイティブが一緒にいるからみんなでお茶でもするかい?」ということになり、地元っ子推薦の近くの喫茶店に行ってみることにした。


ダナ嬢(中央)もニッコリ
 しっかり者のダナ嬢、この展開に少し警戒していたが、そのお店を見て安心したようだ。二階のテラスと中庭が素敵なその店には、オスマン時代のトルコ家庭を再現した部屋があり、なかなかアンティークでおしゃれな雰囲気。トルコ版ドリカムたちは、きっと我々観光客の意を推し量ってこういう伝統的な空間がある店に連れてきてくれたのだろう。

 さっそく靴を脱いで部屋に入り、トルコ式ソファに寝そべったりしてチャイと会話を楽しんだのであった。明るく爽やかで勉強熱心。実に好感の持てるトルコ青年たちは、お礼だと言ってチャイ代まで奢ってくれた。俺なんか大して役にたってないのに、すまんのぅ……。

 その後、ドリカムのひとりである女の子が、自分の兄弟が働いているというレストランへ連れていってくれた。六人でワイワイと食事を楽しんでいたのだが、バスの出発時間が近づいてきてしまった。名残惜しくはあったが、今度は自分が食べた分をちゃんと払って店を出る。なんと彼らはオトガル行きのセルヴィス(シャトルバスのこと)に一緒に乗って、我々をオトガルまで見送ってくれたのであった。やっぱり田舎の子は情があついんだなぁ(涙)。セルヴィスの中でドゥンドゥルマを頬張りながらしみじみと感じ入るマユゲであった。



2001.05.23 マラティヤにて


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