mayugeのダラダラ放浪紀 辛いの苦手、インド人嫌い。ネパール ( Nepal )

「カトマンドゥ」篇 その2  ( Kathmandu-2 )


 再び帰ってきました、カトマンドゥ!

 最後になりましたが、ネパールといったらやっぱり首都カトマンドゥを紹介せねば。散策の模様を写真でレポート。

 タヒティと呼ばれる広場には朝一番で女性陣が集っていた。これは水汲みの列。水汲みは女性の仕事らしい。汲み終わると、腰のくぼみに瓶やバケツを乗せて歩いていくのがなんともエキゾチック。
 アサン広場はいつくかの通りが交わる場所。人、リクシャー、バイク、車がごった返す、いかにもカトマンドゥっぽいところ。
 アサン広場では商売も行われている。お寺の柵を利用して商品を並べちゃうあたりがアナーキーでいい。
 アサン広場の祠の中では子供たちが遊んでいた。カメラを向けると嬉しそうにポーズを取る。
 広場の端には男たちの人だかり。水汲みしてる女性陣に対して、男たちの朝は新聞で始まるらしい。
 インドラ・チョークという商店街を抜けると、今までのごみごみした感じとは違う通りに出る。ここはニューロードと呼ばれるエリア。道路も石で舗装されていてカトマンドゥの首都らしい、今までとは違った一面を見ることができる。
 しかし舗装されていようがいまいが牛は通る。しかも相当でかい。人々は平気な顔で通り過ぎていくが、あまりのでかさにマユゲはちょっとビビった。
 かと思うと朝の一仕事を終えた少年が道の隅でパンをかじっていたりする。こちらの子供は本当によく働く。
 なんて様子を見ていたら、マユゲもお腹が空いてきたので朝食。ポカラにいるときに発見した、新・朝食定番メニュー「ムスリー・カードwithフルーツ」。中味は穀物系のシリアルで、その上にフルーツのヨーグルト和えが掛かっている。すごく簡単な組み合わせだが、意外や意外、これが絶品。日本に帰ってもこの朝食スタイルは使えそう。いまいち朝食欲がないときなどでもこれなら食べられそうだ。
 ここはダルバール広場という一角。カトマンドゥ中心部のなかでも南西の端のほうにある。現在は北部にあるネパール王室の王宮も、かつてはこの地区にあったそうだ。ダルバールというのはネパール語で「宮廷」を意味するとのこと(右側の白い建物が旧王宮、ハヌマン・ドカ)。

 広場には露天商がぎっしり。生活物資やみやげ物が並んでいる。見たところククリ(ネパール古来の刀)の品揃えが充実している様子。

 正面に見えるのオレンジ色の建物は生き神クマリの館。クマリは、ネワール仏教徒の、あるカーストの中から、血の汚れのない(つまり初潮前の)、怪我の跡や身体の欠けたところのない、美しく利発な少女が選ばれるという話。この館で人間のかたちをした女神としてのふるまい方を教えられながら育てられるのだそうだ。

 その右にある塔のような建物はナラヤン寺院というお寺。このあたりには寺院も集中して建っている。
 そのなかのひとつ、シヴァ・パールヴァティー寺院。この寺院のいかしてるところは、正面入口の上、ぽっかりと開いた窓から、二人の神様が顔を出しているところ(Pls.Roll Over!)。

 ホノボノしてるよね。
 その隣(ナラヤン寺院とシヴァ・パールヴァティー寺院の間になる)は、シヴァ寺院。ここは土台の階段状の部分が非常に高く、上まで登ると眺めがいい。広場を見下ろすと、行き交う人々の様子が神様になったような気分で眺められる。

 階段のステップの部分では昼寝をこいている奴がいたりもして、これまたホノボノ(写真の右下)。
 ワン公も最上部の日陰でうたた寝。
 風通しも良くて、たしかにこりゃいいわ。
 この近くにはガルーダという神様の像も立っている。そこで写真を撮ろうとすると、エンタテナーだか坊さんだか、はたまたホームレスだか見分けがつかないおじさんがやってきて、俺も一緒に撮れと言う。そしてシャッターを切ると案の定、手のひらを出してきた。撮らせておいて代わりにご慈悲を、というのが常套手段のようだ。まわりにいるネパール人が少しでもいいから払ってやってくれと言うので、本当にわずかながら手渡した。
 さて寺院はまだまだある。ここはジャガナート寺院。ものすごい数のハトがいて、横になっている牛もさすがに居心地が悪そうだった。
 その後は旧王宮ハヌマン・ドカに入場券を買って入った。入口を入ってすぐは中庭になっている。その横には博物館もあり、現国王の父でネパール建国時の王であったトリブヴァン王にまつわる品々が展示されていた(中は写真撮影禁止)。

 博物館は、同じ敷地内にある九階建ての塔、バサンタプル・ダルバールにもつながっており、狭い階段を上がって最上階まで上がることができた。ここからのカトマンドゥ市街の眺めは最高だ。四方向に開けられた小さな窓をひと通り覗いた後、階段を降りる。

 再び中庭に出ると、奇妙な扉が目を引いた。中には入れないようだったが、なんとなく開けてみたくなる扉であった(写真右)。
 ハヌマン・ドカを出て、近くの通りを進むと小さな祠のようなものがあり、そこには何やら派手な神様がまつられていた。六本(?)ある手には刀や生首が握られているのだが、顔はいたってファニー(Pls. Roll Over!)。学生時代のアメフトチームの同期、佐藤に似ていた。
 ここである少女と出会う。彼女は観光客相手にこのあたりの建物のガイドをしているらしい。立派にコミュニケーションがとれるくらいの英語を話す。彼女曰く、「私がガイドすれば、あなたは次に来たときにはガイドが必要ないくらいここのことがよく分かる」らしい。もうひとまわりしてしまったので断ると非常に残念がった。

 がっかりした様子だったので、写真で機嫌をとろうと考え、一枚撮って液晶で見せてあげた。「どうだい。お兄ちゃんが撮ったらきれいに写ってるだろう?」

 すると、「I don't think so. I don't like my face.」だって。ひねくれてるなー、君。
 寺院が多いダルバール広場周辺を後にしたマユゲは、ニューロードを東へ向かい、カトマンドゥのメインストリート、カンティ・パトという通りにでた。この通りを北上したところには大きな池があり、その中ほどには白いきれいな寺院が建っている。地図によるとここはラーニ・ポカリというらしい。ポカリって池とかいう意味だったな、確か。ポカラの語源でもあるはず。
 カンティ・パトは大都会らしい大通り。交通量も多い。この前方右手には現王宮が広がっている。

 これでカトマンドゥ中心地をほぼ半周したことになる。もう半周はと言えば、ホテルやレストラン、旅行代理店にみやげ物屋がひしめく一角。もう既に何度かお世話になっている地域だ。道はこんがらがったところもあるが、一回歩けば土地勘はつかめてしまう。旅行者が必要とするスポットは、実は結構狭い地域に集中しているのだ。それだけにどこにでも歩いて行けて、通りや店ひとつひとつに愛着がわきやすい。
 そんなわけで、この街を離れる前夜はなんとなく寂しい思いがして、ホテルのベランダからしばらく通りの人の流れを見つめたりしてしまった。

 カトマンドゥ、是非また訪れたい街のひとつだ。




2001.04.12 カトマンドゥ  タメル地区
HOTEL Kathmandu Holiday にて



(注)文中、「現国王」としているビレンドラ国王は、先日の皇太子が銃を乱射したとされる事件で逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。2001年6月6日

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