mayugeのダラダラ放浪紀 辛いの苦手、インド人嫌い。ネパール ( Nepal )

「カトマンドゥ」篇 その1  ( Kathmandu・1 )


気分は、ハイ・ホー、ハイ・ホー、ィヨーレイヒ〜♪

 2001年3月18日(日)。バンコク、サヤーム地区よりタクシーでドン・ムアン国際空港へ向かう。運転手の「国に帰るのかい?」という一言からちょっとおしゃべり。話題は転じて日本車談義に。運ちゃん曰く、タイを走る車の95%が日本車だとか。ホー、そんなになるかい。彼の車もTOYOTAだった。続けて彼曰く「特にTOYOTAとHONDAがいいね。TOYOTAはガソリンをセーブする」。そーでしょ、そーでしょ。「HONDAは…」。やっぱ、エンジンかな? 「…エアコンが最高だ」。そこでもやっぱ判断基準はエアコンなんだ……。他のメーカーは? 「MAZDA、ISUZUはダメだ」。なんで? 「MAZDAのエアコンはよくない」。…………。

 午前10時30分発のTG319便にてバンコク、ドン・ムアン空港よりカトマンドゥへ向け飛び立つ。この便の登場口には日本人観光客の姿が多く見られた。みな中高年の団体で、昔、"合ハイ"(=合同ハイキングのこと)でならした世代だけに、ネパールへ乗り込む前から全身すでにハイキング・ファッション。しかし彼らも中身はジャパニーズ。ベンチに座っている人の足を蹴っ飛ばしても「sorry」ひとつ言わずに傍若無人に歩き回っていた。

 このフライト・ルートはカトマンドゥ着陸の少し前に機内放送で案内が入る。右手の窓からエヴェレストが見えるというのだ。乗客は一斉に慌て出す。マユゲは右側ブロックだったが三人掛けの通路側だったのでいまいち窓の向こうが見えない。そこで隣の人にサイバーショットを渡して写真を撮ってもらった。

 確かに白い山々が写っているが、マユゲにはどれがエヴェレストが分からない。どれかなー??

 機体はまもなくカトマンドゥのトリブヴァン国際空港へ。着陸直前に機体が数十メートルくらいストンと落下したので機内には一瞬悲鳴が走ったが、特に怪我人もなく無事着陸。CASIOプロトレックの時間を、1時間15分という微妙な時差分戻す。

 空港はいたってシンプルなつくり。高い建物なんてなく、景色もとてものどかだ。いよいよまた、全く違う文化圏に突入したという思いを強くし、胸が高鳴る。

 バゲイジ・クレイムに進んだ後、荷物が40分以上出てこず、いきなりの洗礼を受けることになった。誰かが割ってしまったスコッチ・ウィスキーの匂いが充満するホールで、数個の同じ荷物だけが繰り返し流れてくるベルト・コンベアを眺める。ここでも日本人団体客は持ち前のパワーを発揮。そこのけそこのけとベルト・コンベアの始点に進み、そこにあるカーテンをめくり上げ奥の作業状況を確認。そして「もう来ますよー、人が立ってますからー」と仲間へいち早く報告。せっかちなんだから、もう。

 荷物を待っている間にさっそく客引きがやって来た。普通はゲート出てからなんだけど、早いな。「何処に泊まるのか? タクシーは?」。小声で尋ねてくる。こんなところで声掛けてくるヤツ、インチキに決まってるだろっ。適当にあしらうと、彼は次の標的を探しに行った。無事荷物を手にした後は、ゆるゆるの税関を抜け空港の外へ!


ネパール GENERAL INFORMATION
国旗
正式国名 ネパール王国(KINGDOM OF NEPAL)
首 都 カトマンドゥ(Kathmandu)
面 積 147,181平方キロメートル
人 口 2,259万人('97)
人種民族 パルバデ・ヒンドゥー(インド・ヨーロッパ語系)がほぼ半数。
ほかにチベット・ビルマ語系の諸民族などが30以上。
宗 教 世界で唯一ヒンドゥー教を国教とする
(ヒンドゥー教と仏教が混ざり合いみごとな調和を保っている)
言 語 公用語はネパール語。そのほか各民族の言語・方言は50以上。
時 差 日本より−3時間15分
通 貨 ルピー(Rs)とパイサ(P)
Rs1=約1.64円 ('01年2月27日)
電 気 220V、50Hz

コレ、ナカハ、ムラタ、デスカ?って、こっちが聞きたいよ!

 空港の外には、ホテル名を紙に書きそれを手に持った大勢の客引き(お迎え?)たちが待っていた。五〜六十人はいただろうか。カトマンドゥはホテルの供給過剰状態なのだ。とにかく大変なことになっている。マユゲは空港を出てすぐのところにあるカウンターでカトマンドゥ市街までのタクシーを手配し、大きな荷物とともに後部座席に乗り込む。すると助手席に何者かが……。彼も市街までついでに乗って行くといった感じだ。「ネパール、ハジメテデスカ?」。彼はなんと日本語をペラペラとしゃべる。「ホテル、キメマシタカ?」。なんだ、お前も客引きか。彼の家族はホテルをやっているらしく、「モシヨケレバ」ということなので見るだけ見てみることにした。

 カトマンドゥの中心地タメル地区の外れにある彼のホテルは、通りからちょっと奥まった立地で、やたらめったらクラクションを鳴らすお土地柄らしいここカトマンドゥでは、静かさを期待できそう。ちょっとした中庭もあり、ツイン・ベッドの部屋も清潔で広々としている。お湯もしっかり出る。とりあえずという感じで料金も聞いてみたが、悪くない。土埃と排気ガスが立ち込めるタメル地区をバックパック担いで歩き回るのも嫌だったので、ここに泊まることにした。

 「アリガト、ゴザイマス」という彼の名前はノブラッジ。まだ学生の23歳だが、ホテル以外にも手を広げている家族の商売を手伝っているという。「アシタハ、アサ、サッカーノレンシュウシテ、ソレカラ、シゴトデス」。そーかい、んー偉いねぇ。

 この日は彼のおごりで夕食をご馳走になってしまった。「ナニ、タベタイデスカ?」と聞いてくれるので当然、「ネパリー・フード!」。 行きつけらしきレストランでネパールの国民的定食「ダル・バート」をいただく(写真右)。

 ご飯(バート)に豆を煮たスープ(ダル)を掛け、それにタルカリ(カレー風味の野菜)とアチャール(漬物)を載せ、これらをかき混ぜて食べる。この日のダルバートは、肉が入ったカレーと生野菜までついている豪華版らしかった。

▲ノブラッジ、セルフ撮影
 普段はダル・バートを手で食べているらしいが、「キョウハ、アナタトイッショ。ダカラ、スプーン、ツカイマス」。ありがとう、気を遣ってくれて。ノブラッジは小さい頃、初めてフォークを見たときに、それは何に使うものなのか分からなかったそうだ。毎日手で食べていれば、そうなんだろうな。

 ノブラッジは食べながらシーシー息を吸っている。どうしたのか尋ねたら「ワタシタチハ、アマリ、カライノ、タベマセン」。えーっ、メチャメチャ、インド系の顔してるのに?

 それから面白かったのが彼の「ワタシハ、インドジン、キライデス。カレラハ、ウソツクカラデス。ワルイヒト、タクサン、イマス」という発言。卒業旅行でインドに行ったときを思い出し、思わず笑ってしまった。お隣の国の人もやっぱり最初そう思うんだ! 「デモ、ネパールジンニモ、ワルイヒト、イマス。ハッパ、カワナイカト、コエカケルヒト、オオゼイ、イマス。ダカラ、アナタモ、ワルイヒト、イイヒト、ヨクミテクダサイ」。オーケー、そうするよ。

 それにしてもノブラッジは日本語が上手。聞いてみたら、まだ勉強して3ヵ月だというからびっくり。日常会話なら充分にコミュニケーションが成立するレベルだ。彼曰く、「アトハ、Respectヲ、ベンキョウシナケレバ、ナリマセン」なるほど、敬語ねぇ、これは難しいだろうな(この後知り合った人から聞いたところでは、ネパール市街部の子供たちは小学校から英語を習い、中学生になると授業中は英語しばりになったりするらしく、ほとんどの子が普通に英語を話すという。公用語のネパール語、自分の民族の言語、それから日本語などプラスアルファで覚えていく。ネワールと呼ばれる民族の人たちの多くが四〜五ヶ国語を話すという。彼らは実は驚異的な語学習得能力を備えているのだ。まさに村田製作所の精密機械のよう!)。

 さて、さっそく美味しいネパール料理も食べることができた(ノブラッジ、ごちそうさま)。明日からはトレッキングに向けて準備を始めるとするか。


2001.3.18 カトマンドゥ  タメル地区 HOTEL DISCOVERY 102号室にて

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