mayugeのダラダラ放浪紀 誰が言ったか「やすらかなる国」、タイ〜PART2 (Thailand 2)

「アユタヤ」篇  ( Ayutthaya )


マユゲ、ツアーに参加する

 2001年3月17日(土)。今日は、バンコクの北およそ80kmにあるアユタヤという町を観光する一日ツアーに参加。前日のムエタイ観戦前に旅行代理店で手配しておいたのだ。しかしこれがマユゲの財布からするととてもゴージャスな代物。この旅ではいつも自分ひとりで歩きまわっていただけにツアー参加は初めて。果たしてその豪華ツアー"RIVER SUN CRUISE"とはどんなものなのだろうか。

 午前7時、ホテルの部屋の黒電話がジリリーンと鳴る。どうやらツアーのお迎えがきたようだ。宿までお迎えというのがまずすごい。フロントへ降りると、白いシャツを着た若いお兄ちゃんが声を掛けてくる。「Are you ready,MR.?」彼の導きに従ってエアコンの効いたミニバンで出発。

 ミニバンにはすでに他の客たちも何人か乗っている。どうやらマユゲのホテルがこの便の最後のピックアップ地点であったらしい。バンは15分ほどでバンコク市街南西部チャオプラヤー川沿いのリバー・シティーというショッピング・センター前に到着。このあたりはバンコクでも高級ホテルが建ち並ぶちょっとしたお金持ち旅行者ゾーンだ。ここからはバスに乗り換えアユタヤへ向かうのだ。デラックス・シートの大型バスに乗り込み涼んでいると、他のバンも到着したようで、続々とヨーロピアンたちが乗り込んでくる。どうやら日本人はマユゲだけのようだ。

 バスは間もなく出発、高速道路で北へ。その間も車内ではガイドさんによって、タイ王国及びバンコク市の歴史と現状、アユタヤについての予備知識などが流暢な英語によって説明されていく。彼は五十代半ば、中肉中背、白髪まじりのベテラン・ガイドといったところか。とても穏やかで上品な話し方をするおじさんである。

▲王様が涼をとったというプラ・ティナン・アイサワン・ティッパアト
Phra Thinang Aisawan Thiphya-art

 一時間もしないうちにバスはひとつめの観光地に到着。アユタヤの南の郊外、約20kmのところにあるバーン・パイン離宮(BANG PA-IN PALACE)だ。

 ここは17世紀のタイの王様が別荘として使用するために築いたところ。チャオプラヤー川の中州を利用した広大な敷地の中に、芝生の庭園や豪華な建物が点在している。古式タイ建築あり、ギリシア風あり、中国風あり。さすが王様、豪華絢爛である。

 池のほとりにはスナンター王妃の記念碑というものがあった。ガイドさんの説明によれば、かつて王妃が船でここバーン・パインへ向かう途中転覆事故に遭い亡くなってしまったのを嘆いたラーマ5世という王様が建てたとか。何でも、転覆時まわりには大勢の取り巻きたちがいたらしいのだが、一般ピープルズは王家の人間の体に触れることは御法度で、溺れていく王妃をただ見ていることしかできなかったのだとか。何とも歯がゆい話である。お国違えばここまでしきたりも違うものか。

 ここでは30分の説明と30分の自由時間の後、バスへ戻る。ここで冷たいおしぼりが出されたのには感激。しかしこの「自由時間」というのがツアーっぽくていいね。

何も言わぬ仏像たちが訴えるもの  〜ワット・プラ・マハタート(WAT PHRA MAHATHAT)

 次なる観光地はもうアユタヤの町の中だ。ここアユタヤはチャオプラヤー川とその支流に囲まれた中州の町。西暦1350年から400年以上にわたってアユタヤ王国として栄えた歴史ある都である。大学受験で日本史を選択した人なら、その名前に聞き覚えがあるだろう。「アユタヤ−日本人町−山田長政」というセットで暗記したのではないだろうか。日本や中国だけでなく、17世紀にはペルシャ、さらにはヨーロッパ諸国とも外交関係があったというから大したものである。しかし隣国ビルマとの間で行われた戦いによって1767年に陥落してしまったとのこと。その際、ビルマ軍により当時の建造物は徹底的に破壊されてしまったらしい。

 二つ目のポイント、ここワット・プラ・マハタート(WAT PHRA MAHATHAT)では、その時から時間が止まってしまったままの、歴史の遺物たちを目にすることができる……。ここからは、写真を中心に紹介しよう。

▲入口近く。首だけの仏像が静かに目を閉じて迎える

▲ガイドさんは汗をかきながら熱心に説明

▲長いときの中で、木の根に取り込まれてしまった仏頭

▲辛うじて破壊を免れた仏像も

▲傾きつつも絶妙なバランスを維持する塔

▲かつては塔であったのだろうか…

▲古びた煉瓦と青い芝生が調和する

▲首のない仏像が数多並んで座る。
すべてを"見て"きた彼らが、静かに"目を閉じて"思うものは…

 ここでも少しの自由時間ののち、出発。

離れ目のビッグブッダ。 〜ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット(VIHARN PHRA MONGKHON BOPHIT)

▲青空にいっそう映えます

 次なるポイントは、ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット(VIHARN PHRA MONGKHON BOPHIT)。観光バスが何台も停車できる広い駐車場でバスを降りると、赤・白・金のきらびやかな建物が目に入る。

 この寺院もまたビルマ軍によって破壊されたそうだが、先ほど登場のラーマ5世という王様が再建したのだとか。礼拝堂(ヴィハーン)は1956年にビルマ(現ミャンマー)からの寄付もあって復元がなされたらしい。

▲本名「プラ・モンコン・ボピット仏」

 サンダルを脱いで大きな本堂の中に入ると、そこには高さ19mの大仏さまが座っていた。今回の旅はいろいろな大仏さまに会えて、仏像好きなマユゲとしては楽しい。

▲メタリック・カラーがファンキーです

 お堂の外にはカラフルなトゥクトゥクが待ち構えていた。乗っていくのはやはり典型的ジャパニーズ・スタイルの女の子たち。

 駐車場にある屋台でココナッツ・アイスクリームをつまみ、再びバスへ。

 駐車場を出るとバスの窓からは、何頭もの象が人間を載せて道路の端をのっさのっさ歩いていくのが見える。観光バスならぬ"観光象さん"のようだ。それを横目で見たガイドさんはしかめっ面で、強烈な陽射しの中、動物たちをこのように酷使するのは好きではない、と言っていた。観光業に従事する者としても、何でもかんでも金儲けできればよい、というのは嫌なのだろう。ガイドさんがそんなこと言うのはちょっと驚きだったが、なるほどと思った。しかしよく見ると、嬉しそうに象の背中に乗っているのは寄りによって100%日本人のグループ客であったのが、ちょっと気まずい思い……。

細目のビッグブッダ。 〜ワット・ナー・プラ・メーン(WAT NAH PHRA MANE)

▲細い目でジーっとこちらを見てきます

 お次は、ワット・ナー・プラ・メーン(WAT NAH PHRA MANE)という寺院。ここの本堂はアユタヤで最大(50×16m)なのだとか。中はバンコクのワット・ポー本堂のように絨毯敷きのフロア。細目の大仏さまが静かに見下ろす前で、吹き抜けていく涼しげな風を楽しむことができる。

 マユゲもしばし瞑想。

▲昼寝をこく子供。気持ちよさそー

 隣にある小さな礼拝堂を覗きバスへ向かう途中、とても平和なダラダラ光景を目にし、立ち止まってしまった。祠の陰で地元のお嬢ちゃんが昼寝(写真右)。なんかこっちまでとても幸せな気分にしてもらったよう。

 そしてバスは最後のポイント、船着き場へと向かう。バンコクへの帰りは、バスではなくチャオプラヤー川を下る船なのだ。
チャオプラヤー・リバークルーズ!

 バスを降りると時計はもう午後1時ちかく。そう言えば今朝は何も食べずに出てきてしまったので、すっかりお腹が空いている。船の中で出されるというランチに期待しよう。

 乗組員が敬礼してくれる中、乗船(写真右)。独り者のマユゲは、テーブルの人数調整要員として女性陣5人と一緒の席になった。どーも、Nice to meet youです。テーブルにはピカピカの食器と真っ白いナプキン。なんかこういうの久し振りだな。料理はタイ料理を中心にしたランチ・ビュッフェ・スタイル。各自いろいろと好きなものを取ってきて、「いただきまーす」となる。さすが南国、フルーツが充実していてうれしい。

 食事をしながらテーブルごとでお話が繰り広げられる。同席したのは、セネガルから来たおばちゃん、カザフスタン出身で現在広島に留学中のお姉ちゃん(顔は日本人そっくり)、トルコ出身同じく広島留学中のお姉ちゃん、スリランカから来た母娘(娘さんはスリランカ航空のスチュワーデスなんだとか)というメンバー。セネガルのおばちゃんは英語が苦手であったが(フランス語で筆談していた)、他はみな英語でコミュニケーションがとれる。マユゲも何とかついていける状態。日本留学組の二人が時々話題を振ってくれるので会話は楽しく進んだ。

 食後は、階段を上がり船の二階席を通って最後部のデッキに行ってみる。驚いたことに二階席は日本人の貸切りスペースといった雰囲気。いくつかの日本人グループが集められている様子だ。「いやーそれでさー」とか「うっそー、あれ、おいしくないよー」といった日本語が飛び交い、まるでここは東京の食堂かと思うほど。

 デッキは風があるものの異常に蒸し暑いく、5分と出ていられない状態であった。

▲これはワット・プラケオかな?

 船はゆっくりとチャオプラヤー川を下って行く。途中ティー・タイムなどを挟みつつ、三時間あまりのクルーズの末、窓にはやっとバンコクの見覚えのある景色が映ってきた。

▲これはワット・アルンかも?

▲船の最前部もデッキとなっていて、こちらはヨーロピアンたちで賑っていた

▲キャプテンの操舵風景も見学できる
Beautiful ladys from all over the world!
▲世界各国からの美女たち

 そして、楽しいひとときをご一緒した世界各国の美女たちと記念撮影、アドレスの交換などをした午後4時過ぎ、船はバンコクのリバー・シティーに到着。みなそれぞれの行き先ごとに分かれてミニバンに乗る。やはり帰りもホテルまで送ってくれるのだ。

 バンがホテルに着くと、近くのコンビニに寄り道しまたまた"鷲のマーク"を買って一息。とうとう今日でタイともお別れ。最後にちょっと贅沢してツアーに参加してみたのも、また一興だったな。


2001.3.17 バンコク サヤーム地区  PRANEE BUILDING 22号室にて


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