mayugeのダラダラ放浪紀 誰が言ったか「やすらかなる国」、タイ〜PART2 (Thailand 2)

「ランカウィ〜サムイ」篇  ( Langkawi → Koh Samui )


今度は海路国境越え

 2001年3月8日(木)、マレーシア・ランカウィ島でのダラダラ生活を切り上げ、次なるビーチリゾート、サムイ島を目指す。サムイ島は、象の横顔に似たタイ国土のうち象の鼻中央部東側、タイ湾に浮かぶ島だ。タイで有名なもうひとつのリゾートアイランド、プーケット島は象の鼻の西側、アンダマン海側に位置するので、ちょうど反対側ということになる。船でのタイ入国後は再度マレー半島を北上、さらにまた船でサムイへ渡ることになる。今日は移動距離、手段ともにタフな一日になりそうだ。

 ランカウィでの宿TANJUNG MALIEをまだ夜も明けない午前6時30分にチェックアウトし、流しのタクシーを待つこと15分。時々通る車に向かって片っ端から手を挙げようやく捕まえたタクシーで、徐々に明るくなる空を見ながらジェッティ(船着き場)へ向かう。このタクシーの運ちゃんはハンドルを「10時10分」で握る中年の男。しかしこの時間、交通量はほとんどなくどの道もほぼ貸切り状態なもんだから、山間のワインディングロードでは反対車線もフルに使い「イン&アウト」のコーナリングを楽しむ。この男、几帳面なのかワイルドなのか...。そして、無言でアクセルを踏み込む彼の目線には速度メーターは入らない。なぜなら、メーターの針は時速20kmを指したまま動きはしないからだ。マユゲはただ、TOYOTA車の性能を信じ手摺を握り締めているだけであった。

 そんなタクシーも30分ほどで無事ジェッティに到着。朝食をとりつつ、ランカウィ(マレーシア)からタイへ海路入国する際の玄関口となるサトゥンという街行きのチケットカウンターが開くのを待つ。前もってここジェティにレンタルバイクで調べに来たときに分かったのが、この航路には一日四便あり、チケットは当日しか買えないということ。さらに出国審査と通関手続があるので、出航の二時間前にジェティに到着すべきとのことだった。始発の午前9時便に合わせて来たものの、薄暗いジェティ内の人はまだ疎ら。結局サトゥン行き乗客の出国審査が始まったのが午前8時50分。この頃にはヨーロピアンのバックパッカーたちがうじゃうじゃ集まってきていたので、でかパックを背負ったサンダル履き連中がゲートへ向け一斉に押し寄せる。毎日肉を食って必要以上にでかく育った奴らに負けじとマユゲもグリグリ列に加わる。ここで急いでもそんなに変わりはしないんだけどね。

 出国審査ではマユゲのパスポートにマレーシア入国印がないことを指摘された。シンガポールから乗った国境越えマレー鉄道内でパスポートのVISA欄を見ていたときに、どこ探してもないなー、と思っていたのだ。審査官が罰金とか言い出したら「シンガポールのマレー鉄道駅にいるオタクの国の入国審査官が押し忘れたんだよ!」と逆ギレしてやろうと思っていたが、どうやって入国したかだけ聞かれて、何かパスポートにペンで記入した後あっさりと通された。そして税関へ。通関といっても「CUSTOMS」の看板があるノーチェックのゲートをくぐるだけ。メチャメチャいい加減やん。
 多くのバックパッカーを乗せた船は午前9時20分に出航。この船もペナンからランカウィに来たときと同じようなジェット船だ。船内には身分証明書をつけたタイの旅行代理店のセールスマンがおり、サトゥンからの足を手配できるようになっている。

 彼は揺れる船内で片っ端からバックパッカーに声を掛け営業活動を進める。マユゲのところに来たときに値段と交通手段を詳しく聞いてみたところ、悪くない条件だったのでひとくち乗ってみることにした。
これならバックパックを背にミニバン乗り場探して歩き回ったりしなくて済む。今回の移動は乗り換えが多いからな。

 約50分の航海で、タイ時間午前9時10分にサトゥン港に到着(写真右)。時差の関係で、出航時間より到着時間が早いのがちょっと不思議な感覚だった。

 サトゥンでの入国審査・通関はまさに水際(写真右)。しかしここも「超甘甘」の審査でほぼ素通り。

 案内板の表記は、タイ・英・マレーの三ヶ国語(写真右)。タイ語の表記が懐かしい。再びタイ入国だ。
無言のロングドライブ

 サトゥンの港から市街までは乗合タクシーが手配されていた。ピックアップトラックの荷台に、向い合い式の貧相なシートが二列設置され、幌が天井を覆っているタイプ。風に吹かれること15分でサトゥン市街ににある旅行会社の事務所へ。冷房の効いたきれいなオフィスで待つこと15分、次の中継地ハジャイへ向かう。船から一緒だったセールスマンとはここでお別れ。クーポンチケットを渡され、ここからはエアコンバス(タウンエースのような15人乗りミニバン)でハジャイまで所要約二時間。提携の旅行会社らしき事務所に到着。次なる中継地はスラーターニー。マレー半島におけるサムイ島への玄関都市だ。ここハジャイからは陸路で300km近い移動であるだけに、さらに車での長旅となるわけだ。マユゲの便は約一時間後の午後一時出発だというので、近くの食堂で昼食を済ませる。

 余談だが、事務所に戻りトイレを借りた際の小話。そこにあるのは我々がいうところの和式便器。その上部にブランド名がプリントされている(写真右・pls.Roll Over)。スタンダードって言わはりますけど、アメリカ人はこういうスタイルじゃないんとちゃいますか?

 それはさて置き、お迎え到着との声がかかる。しかしエアコンバスはまだ来ていない。「???」と思いながら進んでいったところには、バスではなくMAZDAのピックアップトラックが待っている。荷台には、頼りない紐で括られたオートバイ一台に加えてダンボールなどの荷物が満載。どうやらスラーターニー行きのエアコンバスは人数の関係かなにかで乗れなくなってしまったのを、これでごまかそうとしているようだ。子請け会社だけに、乗客が目的地に着けばいいだろうという、超適当なタイ根性を発揮しているらしい。マユゲがエアコンバスはどうしたの?とやや恐めに文句を言うと、訳も分からない言い訳を並べ埒があかない。しかし、ピックアップトラック内の様子を見てみるとエアコンはバッチリ効いており、何といっても助手席で目いっぱい足が伸ばせそうだという事実を密かに発見。これはラッキーと思いつつも相変わらず怒った表情のまま、仕方ないな、といった演技をかまし乗り込む。

 タイ人の若い兄ちゃん運転のもと、いざスラーターニーへ向け出発。リクライニングシートを倒して足を伸ばし、うーんこれは快適!と思ったのも束の間、大変な事実が露呈した。兄ちゃんはメチャメチャ運転が下手なのであった。それに加え、荷台のオートバイの揺れが相当気になるらしく、前方をほとんど見ない。二秒おきに視線が動くのだが、「バックミラーとサイドミラー70%」、「前方25%」、「マユゲ5%」といった割合。俺は見なくていいから、前見ろ!と前方を指さすのだが、どうしても後ろばかり気になる様子。スピードが遅いだけでなく、身の危険も感じる長旅となりそうだ。まさかこういう素人の運転になるとは……。ハジャイの子会社事務所からサトゥンの親会社事務所に電話を入れ、どーなってんだとブチ切れてやればよかった……。トホホ。

 スラーターニーからサムイ島へ向けてのナイトボート出航は午後11時。さすがにこれに間に合わないことはないかと思うが、長い道中、先が思いやられる。さらに兄ちゃんはタイヤの具合もやたらと気にしはじめ、高速道路に乗った後も道沿いにガソリンスタンドを見つけると毎回停車してタイヤのチェックを頼んでいる。どこのスタンドでも問題なしと言われるのだが、また次のスタンドに寄る。走り出したときにマユゲも注意してタイヤの具合を探ってみるのだが、特に異常は感じられない。

 結局四つ目のスタンドで、不思議がるスタンドのスタッフを尻目に兄ちゃんはタイヤを取り替えた(写真右)。お前だけに見える何かがついていたのか?
屋台でリフレッシュ!?

 その後、長い沈黙のドライブの後、所要約五時間でスラーターニー市内のバンドンという船着き場に到着。午後6時20分、あたりはやや暗くなりかけている。

 船着き場のまわりには屋台がひしめいており、その席にはナイト・ボートを待つバックパッカー達の姿も散見される。マユゲも夕風に吹かれながら、ここで夕食をとる。二隻の船が既に接岸しており、船乗り達が荷を積み込む威勢のよい声が聞こえてくる。ひとつがパンガン島行きでもうひとつがサムイ行きのようだ。

 食後の午後7時30分。出航にはまだ早いが乗船して荷物を置く。まだマユゲ以外の乗客は一人も乗っていない。もうひとつ下のフロアにも船室があったのだが、気持ちよさそうなので幌付きデッキの端にある簡易ベッドをゲットした(写真右)。

 試しに横になってみると幌の外にはやや霞がかった月が見える。今日は満月なのであった(写真右)。

 出航まではまだ三時間以上ある。身軽になったマユゲは、デイパックだけ持って船着き場周辺の屋台街をダラつくべく船を降りる。

 通常の食べ物屋台に加え、果物を扱う屋台が多い。灯りが元気に点り、人出も多く活気がある。マユゲもここでグァバの切身を買ってデザートにしたのだが、袋についていた「辛し入り砂糖」を掛けて食べたところ、そのまずさに気持ち悪くなってしまった。船旅前なのに、ちょっとヤバい……。

 この日、ここスラーターニー、バンドン通りではお祭りが行われていたらしく、中国の旧正月で見られるような龍のおみこしを持った少年の集団にも遭遇(写真右)。ここでも華僑のパワーは健在であった。
嵐のミッドナイト・クルーズ

 屋台ダラつきののち再び船に戻り、寝る態勢を整える。まずはトイレ・歯磨きを済まし長ズボンに履き替える。そしてもうひとつ大事なのは「マスキーローズ対策」。肌が露出する部分を中心にランカウィで買った虫除けスプレーを入念に吹き付ける。先ほど試しに横になった時点でもすでに奴等は活動を開始しているようだった。寝入ったところで耳元を飛ばれるのが最悪である。当然目をつむって顔にも吹きかける。あっ、鼻に入った、臭っ。

 寝る準備ができたところで、まだ出航前であったが早めにバスタオルをかぶって目を閉じる。まわりの簡易ベッドにもすでに大勢のヨーロピアン・バックパッカーが集まってきているようだ。話し声などでそうそうすぐに寝付けるものでもない。しばらくして顔を上げてみると、簡易ベッドにおさまりきらない人々がデッキの床にマットを敷いて寝ているのも見える。なんか難民船みたいだな。

 いろいろとくだらないことを考えているうちにいつの間にか眠り込んでいたらしい。目が覚めたらすでに船は動き出しており、腕のCASIOプロトレックを見ると、時刻は深夜0時に迫ろうとしていた。まわりの連中もすっかり静まり返っている。ポンポンポンポン…という船のエンジンが奏でる規則正しいリズムにより、再び眠りにつくのにさほど時間を要しなかった。

 気持ちよく眠り、再び目が覚めるときれいな朝焼けが目の前に、と行きたいところだが、深夜2時半頃であったか、顔に当たる水滴に起こされる。雨だ。しかも風を伴っている。幸いどちらも勢いは大したことはなく、船もそんなに揺れていないので助かったが、それでもデッキの端っこに陣取ったマユゲたちは吹き込んでくる雨の直撃を受ける。まずは荷物を濡れないようにベッドの下に潜り込ませるなどの処置はしたものの、寝ていて雨がかかるのはどうにも致し方ない。バスタオルをもう一度かけなおし、これもまた一興と腹を括り、三度目の眠りへ……。

 思わぬハプニングに見舞われたものの、2001年3月9日(金)朝6時、船はサムイ島西側北寄りに位置するのナ・トン(Na Thon)という港町に無事接岸。

Map of Koh Samui
▲サムイ島(Koh Samui)MAP


 寝ぼけ眼のバックパッカー達は、桟橋で待ち受ける船員の手を借りながら次々に上陸していく。船の端っこ組であったマユゲは軽くひと伸びをして、最後のほうに船を降りた。雨はすっかり止んでおり、東の空が薄らみかけてきている(写真右)。

 そしてここでも客引き合戦は開始されていた。マユゲが目指すラマイ・ビーチは、ここナ・トンから見ると島の反対側。何人かの運転手と話をし、ラマイへ行く男と料金交渉の末、指示された車へ向かう。

 車は普通のピックアップ・トラック。マユゲがバックパックとともに荷台に乗り込むと、しじみのような貝がたくさん入ったビニール袋がすでにいくつか荷台に載っている。運転手の男はプロのタクシー・ドライバーではなく、港で陸揚げされる海鮮品を仕入れに来たところであったらしい。空いた荷台についでに誰か乗せて小遣いを稼ぐ、といったところか。

 運転手がもうひとりの乗客を連れてきたところで出発。彼はアメリカ人の青年。歳はマユゲと同じくらいであろうか。二人荷台で風に吹かれ、お話をしながらの道中。次第に明るさを増していく空のもと、車は車線の真ん中をハイスピードで飛ばしていく(写真右)。

 道連れの彼は、アメリカ人バック・パッカーに多い変にヒッピー的な雰囲気を醸し出そうとしている連中とは違い、若い割には落ち着いていて品のあるナイスガイであった。途中、ビニール袋から染み出してくる「しじみ汁」の流れがズボンに到着しようとするのをよけながら笑い合ったりしてピックアップ・トラックの荷台をそれなりに楽しむ。

 ビーチ近くまで来ると車は屋台街に停車、運転手がビニールを荷台から降ろす。まだ営業前である屋台のおばちゃんが、マユゲたちに「サワディー・カー(おはよう)」と声を掛けてくれる。そうだ、昨日はずっと移動だったのでほとんど現地の人たちと接することがなかったが、再びタイに戻ってきたんだ、という実感が湧いてくる。車はその後すぐにマユゲの目的地ラマイ・ビーチ付近に到着。しじみの次はマユゲが荷台から飛び降りる。アメリカ人の青年はもう少し先にあるマイナーなビーチで友達と合流するのだとか。彼と運転手にサヨナラを言って別れ、すでに明るくなった明け方のビーチロードを歩き出す。ここでもまた、まずは宿探しだ。

嵐が去ってまた嵐

 海岸から少し離れたビーチロードには宿やレストランの看板が並ぶ。旅行代理店やランドリー・サービスの店も多い。そしてここでもやはりインターネットカフェが大流行りである。どの店もまだ営業を開始していなかったが、どこに何があるかはここで同時に押さえておいた。宿は高級なリゾートから安めのバンガローまでいろいろあるようだったが、看板だけではよく分からない。そこでビーチへ向かう細い道を抜け、海側からその構えを見て選ぶことにする。

 すると、南東に向かって大きく弧を描くこのラマイ・ビーチの東の空に、ちょうど太陽が昇ろうとするところであった(写真左)。もともとこのビーチは遠浅ではないので、海岸線の近くで波が砕ける。それに昨夜の雨風も影響しているのであろうか、波はそこそこ高い。朝の潮風の中、やや大きな波の音を聞きながら、陸のほうを向いてマユゲはひとりビーチを歩く。ビーチの中心部から15分ほど北へ歩いたところにこぎれいなバンガローをいくつか発見、値段を聞き部屋を見て回る。

 その中で一番気に入った「BEER'S HOUSE」というバンガローにとりあえず腰を落ち着けることとした(一応、別に名前<BEER>で決めたわけではないことを断っておく)。ここは、これまたマユゲと同い年くらいの若い夫婦が営む宿で、誠実そうな旦那さんと控えめでしっかり者らしき奥さんがいいコンビで好印象である。

 部屋に荷物を降ろし水シャワーを浴びてさっぱりした後、小さなテラスになっている宿のレストランで朝食をとる。食後にはパイナップル・ミルクシェイクを飲み海を眺める(写真右)。海岸線は宿のすぐ目の前。そこから沖合い50mくらいまでは波によって水が濁っている。ちょっと雰囲気でないなー、と思いつつも、その先のエメラルドに輝く海の活躍を期待してみる。さーて、ここラマイで何泊しようかな。

 この日は、太陽がギラギラ照り付ける時間帯と激しいスコールが襲う時間帯が交互に訪れる不安定な天気の一日であった。少しビーチを歩いたりもしたが、バンガローのバルコニーに備え付けのハンモックでブラブラしたり、狭いもののそこそこ快適な室内のベッドに横になったりして時を過ごした。

 夕方、買い物やインターネット・ショップに出かけたときは晴れてくれていたのだが、夜になっても時折スコールはやってきた。まぁ、先は長い。のんびり太陽を待つとするか。

これも言っておかねばなりません。「サムイ島って、さむいじゃん」(……寒っ)

 翌、2001年3月10日(土)。この日も朝から激しいスコール。晴れ間を見計らいインターネット・ショップに出かけて時間を潰す。

 昨日からの激しい雨でインターネット・ショップの道も水没してしまっている(写真右)。マユゲもひざ下まで水に浸かりながらお店に辿り着く。サンダルを脱ぎ、入り口に敷かれているマットで足をふき店内へ。お店のお姉ちゃんは、今日もまた来た日本人マユゲを見つけ暖かいミルクコーヒーを出してくれた。こんな南の島でも、太陽が出ないとホットコーヒーがありがたいくらい。昨夜も少し肌寒く、結局水しか出ないシャワーは浴びないでおいたほどだ。

 ホットメールをチェックしたり、いくつかの日本のポータルサイトをブラウジングし、イチローや新庄の情報に目を通す。隣ではお店のお姉ちゃんがCNNのウェザー・リポート・サイトに見入っている。どうやらタイ全土が大きな雲に覆われていて、しばらくは晴天が見込めないとの予報。

 あちゃー。太陽出てくれないと、夜寒くて困るな。


2001.3.10 サムイ島  BEER'S HOUSE  Bungalow No.7にて

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