mayugeのダラダラ放浪紀    頭巾ちゃんの誘惑、マレーシア (Malaysia)

「クアラルンプール〜ペナン」篇 ( from Kuala Lumpur to Penang )


マユゲ、「ビーラー」の名を返上か!?

 2001年2月28日(水)、GPO(郵便局)にて台湾の友人たちへおみやげを、日本の実家へ不用になった荷物をそれぞれ送った後、MATIC(Malaysia Tourist Infomatin Complex)へ向かう。ここは、旅行者向けの情報が集まっていて旅の相談にものってくれる、いわゆる観光案内所のようなところだ。ここでマユゲは本日の夜行列車で向かうペナン島のフリー・マップを入手。寝台列車の切符はきのうの夜すでに買っておいた。あとは特に見たいものもないんだよな。ここでしておきたいこと何か他にあったっけ?

 そこで思い付いたのが、忘れられない昨日の「味」。MATICからはそこそこ距離があるのだが、暇つぶしもかねて再び訪ねることにした(今、「暇つぶし」って書いて、なんかハッとしちゃう自分に気づいたり……・。俺ったら、「暇つぶしてる」よ……)。男二人が営むジェラート屋である。

 徒歩20分ほどで到着。店を覗くと旭兄さんが一人、黙々と仕込み作業を行っている。もう営業してますか?と声を掛けると、旭兄さんは顔を上げた。マユゲを見て、昨日一人で食いに来たヘンな外国人だと気づいたらしく、ちょっとすまなそうに「うーん、あと30分くらいかかっちゃうかな」と答えてくれる。それじゃぁ後でまた来るよ、と言い残し、屋台街を端まで見物しなおしてみることにした。前日よりも時間帯はさらに早かったので、屋台はほとんど午後休み中。しかし屋台の奥に並ぶ店舗の中には営業しているところもあり、中華鍋が振られている様子が見えたり、ごま油で何かを炒めるいい香りがしたりする。

 朝食の時間は割と遅めだったので、まだお腹が空くには早いと思っていたのだが、お腹が「準備できてるよん」とでも言うかのようにキュルルーっと鳴った。なかなかすばやい反応だ。この旅に出てからというもの、毎日本当によく食べ、よく眠り、そしてよく出している。なかなか太らない体質のマユゲだが、このまま行くと少々デブりそうである。しかし、以前と比べると毎日とてもプリミティブな生活を送っているだけに、こういったシチュエーションでの動物的反応が顕著になってきている気がしないでもない。いわば、"パブ・犬(いぬ)"状態。

 さっそく開いている中華屋に入り、ちょっとこってりした料理を平らげた。調子にのって昼間っからビールも頼んだのだが、これがあまりおいしくない。別にこのカールスバーグが際だってまずいわけではないのだが、以前ほどビールがおいしく感じられないのだ。日本にいたときは「ビーラー(ビール好き)」を自認していたマユゲだが、最近ではそれも取り下げか。

 でも実はこの現象に対して、自分自身心当たりがあるのだ。それは多分、「働いていない」からなんだと思う。そもそもビールを本気でおいしいと感じたのは、働きだしてからだったもんな。今こうして自由な時間を手にした分、それと引き換えに少しずつ何かを手放さなければならないのかもしれない。ビールのおいしさもそのひとつなのかもしれないな、なんて思ったりもする。

さらば、西米撈。

 さて、こってり料理を口にし、よりLoloを美味しくいただける状態になったマユゲは、再びジェラート屋に戻る。今度は弟分も店に出ていて、すでに営業を始めている様子。
Honey Dew Lolo! 今日は違うものを頼んでみよう。メニューの写真を見ながら少し悩んで、「Honey Dew Lolo」を注文(写真右・RM3.00=約94円)。中身の色に合わせて器の色も変えてくれているこのさりげない心遣い。旭兄さん、あんたプロだねぇ。

 味のほうは言えば、こちらもまたまた絶品。「Honey Dew」って何者なのか知らずにオーダーしたのだが、味からするとメロンのようだ。写真ではまわりに盛りつけてあるものは白玉かと思ったが、どうやらこれもメロン。弟分がスプーンでクルッ、クルッとかき出していたのはこれだったのか。いやぁーしかし牛乳好きにはたまらない味だ。冷え加減も絶妙。最後になっても水分だけにならず、トロっとしたジェラート感が楽しめる。


 本当にK.L.に行く用事ができる人がいるかもしれないので、もう一度お店の場所をおさらいです。

K.L.'s best "Lolo" shop!I recommend with confidence.  ジャラン・スルタン・イスマイルを南下、ジャラン・ブキッ・ビンタンとの交差点を、伊勢丹(Lot 10)を左前方に見ながら右折。 約100mほどで右に折れる小道が見えます(※ここからは下の写真のようにK.L.タワーが見えます)。その小道を入り、一つ目のT字路を左折。 ここがジャラン・アロー(Jl.Alor)という屋台街。Jl.Alorに入ったら50mほどで、右手に二人の男性が黙々と商売をしている小さなお店が見えるはず(左の写真参照)。白地黒文字の「HONG KONG SAGO LOLO」の看板が目印です(漢字で「香港西米撈」とも書いてあります)。


 完食し、満足げな顔で代金を支払うマユゲに、旭兄さんはややはにかんだ笑顔を一瞬だけ見せてくれた。

 さらば、HONG KONG SAGO LOLO!
 さらば、K.L.!

 表通りジャラン・ブキッ・ビンタンに出る手前で振り返ると、何も言わずにマユゲを見送るK.L.タワーの姿が見えた。

 冴えないデザインって言ってゴメンな。
 こうやって見ると、結構いい味出してるよ。

マレー鉄道&フェリーの旅

 2001年2月28日(水)午後8時30分、K.L.の駅に立つ。ここK.L.にはわずか一泊のステイであったが、この旅二度目のマレー鉄道で次なる目的地ペナン島へ向かう。トラベラーズ・ステーションは駅構内といってもいいほどの立地なので列車で旅する者には便利。多少(けっこう?)汚いがチェックアウト後も荷物を預かってくれるし、シャワーも浴びさせてもらった。フロント横には生真面目なインド人マネージャーがいるインターネット・カフェもあったので、シャワーでさっぱりした後はここで涼みながら列車の出発時間まで時間潰しもできた。

 列車の出発時刻は午後9時だが、ホームにはすでに列車が到着していた。今日も寝台での夜明かしだが、今回はちょっと贅沢して二等は二等でも「2nd-PLUS」というクラスのチケットをとってみた。どの程度違うのかも興味があったからだ。
 チケットを片手に列車に乗り込む。ここK.L.の長距離列車ホームには改札口はない。チケットのチェックは車内で車掌がまわってきて行う。そんなわけで、K.L.市内へダラつきに出るときはいつも長距離列車のホームを抜けて近道していた。

 「2nd-PLUS」は、前回の通常二等とは違い二段ベッド一組が個室内に設置されていた。今回は窓側に頭を向けて寝るかたちになる(写真右)。

 しばらくすると、マレー人系の集団が乗ってきて、「俺の席はここだ、お前はどこだ?」みたいな会話で盛り上がっていたが、その中の一人がマユゲと同室になる。「うわー俺だけ外国人と一緒だよー」とでも言っているのだろうか、ちょっと落ち着かない表情で個室に入ってくる。軽く挨拶を交わすが、彼は荷物を降ろすと恥ずかしそうに仲間のところへ行ってしまった。

 「2nd-PLUS」は、独り者の旅行者には向かないかもな、と思いつつ個室内にある洗面台で歯磨きをして寝る態勢を整える。やはりこの「2nd-PLUS」も冷房の効きはすでに絶好調。しかしベッドを見ると、通常二等にはなかったタオルケットのような布が置いてある。さすがちょっと高いだけのことはあるじゃんー、とさっそく横になってその布を掛けてみる。シーツ一枚に包まらなければならない二等と比べれば断然防寒になりそうだ。でも待てよ、足のほうがちょっと涼しいぞ。頭をもたげて足元を見ると、それはタオルケットではなく、普通のタオルであった。肩から掛けると、覆えるのはひざまで。おもむろに起き上がったマユゲはバックパックを開け、フリース・ジャケット、バス・タオル、短パンのひざ下アタッチメント、靴下という防寒四点セットを黙って取り出すのであった……。

 就寝前に、戻ってきたルームメイトと少し話したところでは、彼もペナンに行くとのこと。じゃあ一緒だからどっちか朝起きるよなと思いつつも、念のためCASIOプロトレックのアラームを午前5時30分にセットして灯りを消す。暗闇からはすでにルームメイトの大いびきが聞こえてはじめていた。
 翌、3月1日(木)朝5時30分。アラーム音で目が覚めベッド横のカーテンを開けてみると、ルームメイトは既に起きていて身支度を整えていた。ペナンへの玄関口となるバタワースの駅には午前6時02分到着予定。到着時刻「02分」という刻み具合からするとこの路線はそんなに遅れないんだろうなと思っていたのだが、その時刻を過ぎても一向に到着する気配はない。結局一時間遅れの午前7時過ぎにバタワース駅に到着。マレーシア時間は太陽の動きとは少しギャップがあるので、この時間でもまだ夜明け前。駅構内もまだ薄暗く、駅名表示にも灯りが点っていた(写真右)。

 ここバタワースからペナン島へは24時間運行のフェリーが通っている。フェリー乗り場と駅は接続されており、通路を5分ほど歩くと桟橋が見えてくる。ようやく東の空がうっすらと明るくなり始めた時間だったが、マレー半島側からペナン島へ働きに出る人たちとバックパックを担いだ旅行者たちで待ち合いコーナーは混雑している。その中には、ヨーロピアンバックパッカーたちに混じって、いかにも日本人らしき若者も何組か見掛けられた。

 マユゲもチケット売り場の列に並ぶが、窓口付近で頭巾おばちゃんたちの横入り攻勢にあってちょっと戸惑った。この年代の女性のあつかましさは万国共通のようだ。
 バタワースからペナン島側の玄関口ジョージタウンまでのフェリー料金は片道わずかRM0.60(約19円)。しかも20分おきに出発してくれるので、長い時間待たずに乗船できた。

 フェリーが出発する頃にはあたりも大分明るくなってきた。左手には朝靄の中にペナン大橋の影も見える(写真右・バスなどでも渡れる)。
 この海峡、距離にして約3km、時間にして20分程度のものなのだが、マユゲが乗船した時間帯はちょうど日の出の時間だったので、刻々と変わる空の色を楽しめた。

 途中、ジョージタウンから出発したフェリーともすれ違い、その向こうにはジョージタウンのランドマークである円筒型ビル、KOMTAR(コムタ)の姿も目に入る(写真右)。

 ジョージタウン側のジェティ(現地の人たちは船着き場のことをそう呼ぶ)に着く頃には、空もすっかり明るくなっていた。
アダムス・ファミリー in ペナン

 さぁ、ここでもまず宿探し。ジョージタウンの中心近くにあり、旅行者向けの安宿や食堂が集まるというストリート、ルブ・チュリアを目指し歩き出す。タクシーの客引きもさらりとかわし、K.L.でゲットした地図を手に進む。これまでの旅は少し急ぎ足だったので、ここペナンでは今までよりちょっと長く滞在するつもりだ。とりあえず一泊めは安めで清潔というガイドブックお勧めの宿に泊まり、重い荷物がない状態でゆっくりと次の宿を選ぶとするか。

 そのお勧めの宿の名は、「SWISS HOTEL」。いかにもきれいそうである。地図であたりをつけたところで看板を発見、そこから私道を少し入るとオープンエアのテラスがあり、その奥がレセプションになっていた。レセプションに座っていたのはシルバー縁のめがねをかけ、ひょろっとした体格の中年男性。中国人系のようだ。空いている部屋はあるかと尋ねると、ちらっとマユゲを見ただけで、「ある。でも9時半まで待て」と最小限の言葉で答える。それもそのはず、朝7時半では前日宿泊の客がまだチェックアウトしていないだろう。まったくの空室がないところを見るとそれなりに人気のある宿なんだろう。まだ2時間近くあるな。とりあえず荷物を預け、テラスで朝食をとることにした。

 レセプションの男の他にも従業員は何人かいる。キッチンを担当するマレー系小男。上半身裸の中国人系コンビ、「大」と「中」。みな寡黙である。他には英語が達者な若いマレー人が一人いるのだが、彼だけが時折笑顔を見せる。他のメンバーはちょっと話し掛けづらいような異種独特の雰囲気を醸し出している。まるでアダムスファミリーのようだ。
 そしてここにはもう二名、ナイスキャラクターがいた。入ってきたところでいきなりダラっとした出迎えを受けたのだが、二人ともそれぞれに個性があってかわいいワン公たち。通路のど真ん中で堂々と朝寝をこく、図太いほうを「タロ」、
テラスの端で涼むちょっと控えめなほうを「ジロ」と呼ぼう。タロさん、ジロさん。今日ここに泊まりますんで、よろしくっス。

 キッチンの小男にオーダーをするが、彼の発音がおもしろい。食後のコーヒーを頼むと、注文の確認をしてくる。大事、大事、確認はね。
 「コピ?」 Yes, coffee.
 「ミル?」 No, だからカフィだっつーの。
 「コピ、ミル?」 あっミルクのことか、Yes, and milk, pls.
 「アイ?」 No, hot."アイ"はアイスのことだな、もうコツはつかんだぞ。ひと通り確認を済ませると彼は表情を変えずにゆっくりとキッチンへ消えた。

 食後はコピミル・マンが持ってきてくれた英字新聞などを読んで時間を潰す。日本に関する記事もひとつだけ出ていたが、「森首相、そろそろか」というような内容でさみしい思いであった。新聞もひと通り読み終えると、午前中の爽やかな空気のなかでしばしうたた寝。アダムスファミリーたちのゆっくりとした、ペナン島ペースにすっかり引き込まれてしまった。

 レセプションの男に肩を叩かれ起こされる。腕時計を見ると、もう10時近い。一時間以上うたた寝してしまったようだ。
 階段を二階に上がってすぐのところにある部屋に案内されるものの、まだ上半身裸コンビ、「中」のほうが清掃をしている最中。

 板張りのその部屋はそこそこ広く、窓が大きくて明るかった。東南アジアを旅していると窓がなく湿った空気が充満する部屋に遭遇することがあるが、ここはそんなこともなさそうだ。シャワー・トイレは共同なので室内にはないが、小さな洗面台だけは隅に設置されている。
 上半身裸男に壊れた窓の鍵や、照明・ファンなどの説明を受けた後で荷を解く。「今晩は頑張ってくれよー」と天井のファンに向かって頼んでみるが、ちょっと頼りなげであった(写真右)。するとマユゲの大腸が朝のおつとめを要求してきた。今朝は、列車→フェリー→アダムスファミリー家と直行してきたので、まだ済ませていなかったのだ。今日もまた快腸のようである。
 さっそく共同トイレに行きゆっくりと用を足したのだが、トイレット・ペーパーの設置されている位置が異様に高い(写真右)。床からだいたい180cmほどの位置にあるのだ。もし紙が垂れていなかったら、マユゲでは到底手が届かない。シャワーは別のスペースなので、紙が濡れないために高くしているわけでもないんだろうし。

 やはり、まだフランケン・シュタインのような大男がいるに違いない。


2001.3.1 ペナン島  スイス・ホテル  8号室にて


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