mayugeのダラダラ放浪紀 「世界一有名な具合の悪いライオン」の国、シンガポール (Singapore)

「シンガポール」篇 その1 ( Singapore・T)


旅ってのはさぁ……

 2001年2月24日(土)朝7時30分起床。今日はシンガポールへ乗り込む日だ。まずは朝食かな。顔を洗って一階の小ぎれいな白タイル張りの食堂へ降りる。食堂は結構混んでいて相席できるところを探していると、どうやら日本人らしき若い男女が座っているテーブルに空きがある。「ここ座ってもいいですか?」とこちらを向いている男の子のほうに日本語で聞いてみると、彼は目をパッと見開いた。彼も日本人と話すのが久し振りだった様子で、その後朝食をとりながらしばし日本語で歓談。彼は年の頃20代前半で、顔と腕が真っ黒に日焼けしている。バンコクに来る前に一人でアンコールワットに行ってきたとのこと。彼もまた、カンボジアで照り付ける太陽のもと歩き回ってきたらしい。そしてこの後友人と合流してインドへと旅立つという。

 インドといえば、五年前マユゲが卒業旅行で訪れた場所で、それこそ今回の旅の原点ともなった国。一応、「インドってどうでした?」という彼の質問を待ってからにしたが、聞かれるやいなや待ってましたとばかりに先輩風をビュービュー吹かせながらいろいろなエピソードを披露。「インド行った人ってみんな、散々メチャクチャなこと言った後に、『でも面白かったよ』って言いますよね。」そうなんだよ、結局こういう国を旅するというのは、日本では考えられないようなハチャメチャな営みを味わい、そこから何かを吸収するってことなんだろうな、そう思ったがそれは言わないでおいた。

 一方、彼の斜向かいに座っていた女の子もやはり日本からで、ひとりでバンコクに来たという。そして彼女もまた友達と合流して、タイ内の島を訪れる予定だとか。育ちのよさそうなおとなしい感じの子なのだが、よくたった一人で怪しい奴がワンサカいるこのバンコクの街を闊歩できたもんだ。

 それぞれがそれぞれの思いで異国の地を旅する。そこに何があるんだろう。もともとあるものを見つけに行くのだろうか。いや、そこには「何か」なんてもともとありはしなくて、自分をそこに、その時間に投げ込んで、掛け合わせてみたときに初めて、自分の中にその「何か」が生まれるものなんじゃないだろうか。だからこそ今、この時間が大事なんだろうな。なんてちょっと「旅哲学」チックなことを考えながら、コーヒーを飲み干す。爽やかな印象を与えてくれた彼らとは、ひとときの楽しい会話を名刺代わりに、お互い名乗りもせずそこで別れた。

 さて出発だ。快適な睡眠とすてきな朝食をくれたホテル、THE BED&BREAKFASTをチェックアウトし、でかバックパックを背負い空港へ。バス停でエアポート・バスを待っていてもなかなかバスが来ず急遽タクシーで空港へ向かうというハプニングもあったが、TOYOTAの中型車を手足のように操るダイヤモンド・ルー・フィリップス(確かそんな名前の俳優いたよね?)似の運ちゃんのおかげでなんとかぎりぎりチェックイン手続きには間に合った。

 そして午前11時15分、SQ063便、窓側三人席の真ん中に陣取って無事離陸。期待していたスチュワーデスは、まあきれいな人なのだが結構無神経なお姉ちゃん。次から次にサーブするものに追われ客への配慮がなおざり、という本末転倒状態。マユゲの右隣、でぶっちょヨーロッパ系おじさんは、おしぼりをもらえなかったり水滴をボタボタこぼされたりかわいそうだった。

 マユゲはといえば、ひととおり出されたものを順次片付けると、前の座席の裏に着いている液晶モニターで「ホワイトアウト」を上映していたので、いまひとつブルースウィリスになりきれない織田裕二の"熱演"に見入ってみたり。しかし、俳優織田演ずる主人公の発電所職員が、テロリストに占拠されたダムを一度離れ川下にある発電所へ向かった後、人質がいるダムへ再度単身乗り込む、というなかなかのいい場面で画面ブチッ。「当機は間もなく着陸態勢に入ります。」おーい、最後まで見れる時間から始めてよ。帰国後レンタルビデオで続きを確認することを誓いつつ、シンガポール、チャンギ国際空港に降り立つ。

シンガポール、実は二度目?

 到着ロビーに向かい歩いていると、突然デジャ・ヴがマユゲを襲う。そうだ、昨年の夏、マレーシアのキナバル登山に行ったときのトランジットで一晩明かした空港じゃない、ここ。誤って入国審査ゲートを進んでしまい、深夜誰もいないロビーの硬いベンチでバックパックを枕に横になり、エアコンで凍えそうになりながら朝を迎えた思い出が脳裏をよぎる。あの時は入国したものの、空港前の夜空しかみなかったもんな。でも今回はちゃんと滞在するぜ!

シンガポール GENERAL INFORMATION
国旗
正式国名 シンガポール共和国(REPUBLIC OF SINGAPORE)
首 都
面 積 641平方キロメートル
人 口 386万人('99)
人種民族 中国人(77%)、マレー人(14%)、インド人(7%)、その他(2%)
宗 教 仏教、イスラム教、ヒンドゥー教、キリスト教
言 語 公用語は英語。他に中国語、マレー語、タミル語
時 差 日本より−1時間
通 貨 シンガポール・ドル(S$) 1S$=67.80円 ('01年2月25日)
電 気 110/220〜240V、50Hz

やっぱり世の中、お金か……

 到着ロビーでは、毎度のことだが「Taxi?」とか「Hotel?」とか言いながら客引きが寄ってくる。それを振り払って、チャンギ空港から市街へはエアポート・シャトルバスを利用。空港内のカウンターでチケットを手配する。インドのデリー空港では、空港内のカウンターで手配したタクシーが悪徳業者だったので参ったが、ここシンガポールではそんな心配はない。座って待っていると15分ほどで運転手がやってきて声がかかる。このエアポート・シャトルバスというのは、バスとはいうものの6人乗りのバンなのだが、運転手についていってみると車種がメルセデスなのにはちょっと驚いた。さすが高成長国。

 一人旅の金髪お姉ちゃん、ロシア語(?)を話す熟年夫婦、地元民っぽい中国人系の二人と相乗りで市街へ向かうが、途中いきなりの豪雨。南国の特有のスコールのようだ。参ったな、傘ださなきゃ、と思っていたものの、マユゲが降りたベンクーレン・ストリート周辺では雨は止んでいた。ここでもまた、まずは宿だ。

 安宿が集まるというここベンクーレン・ストリートでいくつかあたりをつけてみるが、意外なほど汚かったり、ホテル自体が閉鎖されていたり、満室だったりと、なかなかうまくいかない。やっぱりこの国で安宿は商売きびしいのかな、と思っているとまた雨が降り出してきた。慌てて飛び込んだビルの一階にインターネットカフェがあったので、渡りに船とばかりにしばし雨宿り。

 小一時間でまた雨は止み、宿探し再開。結局、ベンクーレン・ストリートの外れで、オーチャードロードというシンガポールのメインストリートに突き当たる場所にYMCAホテルを発見、少々高かったがここで手を打った。高いのもあって部屋は設備万全。当然バス・トイレ付き、冷蔵庫あり、テレビあり。しかも、ツインのシングルユース(一人旅をしていると結構ある)なので、部屋は広々。外線に掛けられる電話もあったので、AOLにも接続できた。やっぱり金出しゃいくらでもいい部屋はあるもんだ。

マーライオン、体調悪し?

Marlion 翌、2001年2月25日(日)。さっそくシンガポール市街ダラつき開始。プラプラと海のほうへ向かって歩く。かつてイギリスの植民地であった名残なのか、整然と交わる通りの名前がどこか英国チック。スタンフォードロードからセントアンドリューズロードに入り、コンノートドライブへ。すると、海に面した遊歩道、クイーンエリザベスウォークに出る。ここからは、シンガポール名物、マーライオンが見えるはず。さーて何処だ。地図で見るとこの方向に見えるはずなんだけどなぁ(写真右)。

 あっ、いた。あれか(写真にマウスポインタを合わせてください)。マユゲが想像していたのは、体長20メートルぐらいのでかい彫刻がデデーんとあって、その口からは毎秒何千トンという水がゴーゴーとしぶきをあげて流れ出していて、見るものを圧倒する、といったイメージだったのだが、正真正銘本物の"マー蔵(マユゲ命名)"ことマーライオンは、暑さにやられボケっと口を開けているさえない奴だった。
What he looks at ? 拍子抜けしつつも、"マー蔵"の近くに行ってみる。すると本家マーライオン"マー蔵"と背中合わせに、小さいマーライオンがいた。この"マー小僧"のほうは仕事熱心と見えて、昨夜しっかりと飲みすぎたらしく、口からゲロゲロ吐いて観光客を喜ばせている。そうか、"マー蔵"が吐いてないのは体調がいいってことか。でも、"マー蔵"の猫背の背中は、少しさみしそうに見えた(写真右)。しかし、"マー蔵"こそが本家であることは、彼が見つめるその視線の先が示している。(写真にマウスポインタを合わせてみてください)彼は発展を続けるシンガポールの中心部を、何も言わずにしっかりと見守っていたのだった……・。

 隣接するみやげ物屋には、マーライオンTシャツやら、マーライオンスプーンやら、マーライオンせんべいやら、いかにも、ってものがずらりと並んでいたが(せんべいはなかったかも)、そこは素通りしてさらに歩を進める。

 近くにある船着き場を越えると、またきれいな遊歩道。高層ビル群と南国の海と空と木々。いかにもシンガポール!って感じでなんとなく一枚(写真右)。

 それにしても暑い。真上から太陽が照りつけてくる。それもそのはず、ここは赤道付近に位置する街なのだ。

シンガポール・グルメにトライ!

 お腹も空いたし、そろそろランチを食べておくかな、と思っていたら、相当ナイスタイミングでフードコートらしきものを発見。中を覗いてみると、どうやらここは屋台村のよう(写真右)。シンガポールではこういうスタイルの場所を、「ホーカーズ・センター」というらしい。

 大きな敷地に、ちょうど英国旗ユニオンジャックのように(×と+が交差して書かれるように)通りがのびている。その通りにはテーブルが並んでいて、その両側にはたくさんの店がひしめき合って並んでいる、といった格好だ。

 それぞれちょっとずつ違うメニューを持っているようで、通りごとにチャイニーズだったり、インド料理だったり、ムスリムフードだったりするのが他民族国家らしさを物語っている。そんなわけで食器も多種多様(写真右)。レンゲ・箸あり、ナイフ・フォークなどのシルバー類あり。

そのなかでマユゲはインド料理をチョイス(写真右)。やっぱり暑いときには辛いものでしょ。

 バナナの葉にのったターリ(定食)。

 まず肉を二品、野菜を二品選び、それにナンとチャパティがついて、なんとS$5(約340円)。本日はそれに、台湾で虜になったパパイヤミルクを添えてみました。

 食後にはデザートも。写真で見て選んだのだが、ものが来てみたらなんかすごい食べ物(写真右)。赤と緑のタピオカ系ゼリー粒にスイートコーンと里芋(?)の角切。これがココナッツミルク味のかき氷の上にのっているのだ。おえっ、と思ったが、ものは試し。ひとつひとつ口に入れてみる。ツブツブはいいのだが、やはりコーンと芋は……。げんなりしかかったが、ふと思い付いた。これも台湾の食べ物みたいにかき混ぜれば道が開けるかも!

 そこで、グシャグシャっとレンゲでかき混ぜてみた(写真にマウスポインタを合わせて見てください)。そしたら不思議、それはそれはなかなかのデザートに早変わり。芋のサクっとした触感もいー感じだし、コーンもココナッツミルクと混じると打消し合ってくどくない。ほほー、なるほどね。何もアイスクリームや果物だけがデザートじゃないってか。

華僑のパワーはここでも健在!

Chinatown 食後は、また1.5kmほど歩いてMaraysian Railway Stationへ。ここで翌日の夜行列車の二等寝台チケットを入手。列車での国境越えか、楽しみだな。今までは飛行機でしか国境を越えたことなかったもんな。

 チケットを大事にしまったマユゲは、次にチャイナ・タウンを目指す。それにしても、何処へ行っても必ずチャイナ・タウンは存在する。華僑の力、おそるべし、だな。

 しかし、行ってみるとシンガポールのチャイナ・タウンは想像と違って、パステルカラーの店が並ぶ小ぎれいな街並み(写真右)。ディズニーランドみたいだな、と思いつつ進むとやっぱり、蛇入り焼酎とか薬用虫とかを売るえげつない店もちゃんとあって、何故かホッとする。

 ここチャイナ・タウンには大きなショッピングセンターもいくつかあり、雑貨から宝飾品や日本製の電化製品などの高額品まで、様々なものが売られている。ちょうど日曜ということもあってか、人出は多く非常に活気があった。マユゲも何気なくとある電気屋に入ってみたところ、ショーウィンドーの中にちょうど前から欲しかったSONYメモリースティック用3.5インチFDアダプターがあったので、ちらっと値段を聞いてみた。日本円で9,000円くらい。これだと確か日本で買うのとそんなに変わらないよな、と思い、何とか売りつけようとするご主人を振り払い店を出る。

 ショッピングセンターの近くには巨大な集合住宅が建ち並んでおり、全人口の8割を占める華人のパワーをここでも感じさせられた。昔、「♪ポケットをたたくと、ビスケットがひとつ〜♪」という歌を聴いた覚えがあるが、このでかいアパートメントをたたくと次から次に、それこそヒゲダンス志村けんの口からでてくる万国旗のように、中国人が出てきそうに見えた。

メインストリートへ乗り込む!

 チャイナ・タウンの次は、シンガポール市街のメインストリートとでも言うべき、オーチャード・ロードへ向かう。この通りには、世界各地から集まってくる一流品を売る高級な店が並んでいるという。一流品を買うこたないけど、一応見てみよっと。 オーチャード・ロードへは歩いても行けないことはなかったが、強烈な日差しによりここまでで結構バテ気味なこともあり、近くにある駅からMRT(地下鉄)に乗ってみることにする。

 途中、公園内をショートカットして歩く距離を短縮したり(写真右)。ここシンガポールには、市街のいたる所にちょっとした緑のスペースがあって、アスファルトを歩きつづける旅人の気分を和ませてくれるのだ。

 MRTラッフルズ・プレース駅内は非常に涼しい。日本の営団地下鉄南北線のように、ホーム端にはガラスの壁があり、これにより乗客の線路への落下防止とともに、冷房効率の向上を狙っているのだという。そうだよな、銀座線のホームなんか、冷やせども冷やせども冷気はトンネルの中へ、って感じだったもんな。

 ホームにはどこでも同じような、"角張った"線の路線図がある(写真右)。シンガポールでも現在二つの路線が営業中。
 車内はとても広々としている。でもつくりはだいたいどこも同じだね(写真右)。違うのは乗っている人。インド系のおじさん、中国系の女の子、頭巾みたいなのをかぶったムスリムのおばさん。この人々が、ひとつの国の国民として生活しているんだから面白いよな。

 4駅乗って、その名もオーチャード駅で下車。日本よりちょっと速いエスカレーターに驚きつつも再び地上へ。
 そこは、オーチャード・ロードの一番西の端。マユゲが宿泊しているYMCAホテルは東の端。よし、端から端までをプラプラと歩いてみよう。

 この通りは、片側一方通行だけなのだが道幅は広い。そしてその両側にこれまた広い歩道があってその外側に高級店がひしめく。通りを歩いているのは、シンガポーリアンの若者たち。インド系仲良し三人組や、中国系彼氏とマレー系彼女のカップルなどが元気よく闊歩している(写真右)。それにまじって、買い物目当ての観光客たちの姿も散見された。マユゲはここではウィンドーショッピングだけにとどめ、シティバンクで残高照会しつつ涼んだ後、ホテルへと戻った。

 道中、歩き煙草をしている若い男の子二人組を発見。ここシンガポールは、タバコやごみのポイ捨てはもちろんのこと、チューインガムの国内製造販売禁止という厳しい法律の国。そう思ってマユゲ自身特に気をつけていただけに、彼らが歩きながら煙草を吸っているのを見て、こちらがヒヤヒヤしてしまった(汗)。

インド人だって負けてはいない!

 シャワーを浴びて一休みした後、夕食がてらリトル・インディアへの潜入を試みる。ここシンガポールには、中国人のチャイナ・タウン、インド人のリトル・インディア、アラブ人のアラブ・ストリートと、各民族の集まるエリアが存在する。リトル・インディアは街の北部。ホテルからは歩いて10分圏内だ。

Little India 日が落ちてやや過ごしやすくなったシンガポールの道を歩く。通行量はすっかり少なくなっている。次第に、すれ違う人がほとんどインド人になってきた。気がつけば信号の向こうは、もうリトル・インディア。暗がりのなか目を凝らすと、ものすごい人数がひしめき合っている(写真右)。暗くて人の存在が分からなかったため、正直、一瞬ビビった。あまりに人が多いのでさらに先に行くのは断念したが、近くの食堂に入ってみる。

 ここも一種のホーカーズになっていて、屋根つきのスペースにチャイニーズ、インド料理、マレー料理、ムスリムフードなどの屋台が並んでいる。

 マレー料理屋とインド料理屋でそれぞれ注文して、席に座って待つ。インド人のおじいちゃんと相席だ。おじいちゃんは、ビールの大瓶をゆっくりと味わって楽しんでいるようだった。時折インド人の店員を「おお、其処の若者よ」と呼びとめて(これホント)、座らせて一杯飲ます。店員はちょっと困りながらもキュッと一杯飲み干して、おじいちゃんの肩をちょんちょんとたたき、また仕事に戻っていった。マユゲもとなりで缶ビールを一杯(写真右)。すると、マレー料理屋からは、たまご焼きと甘辛いタレがついたナシ・ゴレン(炒飯)が、インド料理屋からはプーリー(パンの一種)とダール(カレー味の煮豆)のセットが届いた。飲み物もそれぞれ別々の相手に支払うのだが、しめてS$7.20(488円)也。これで充分お腹いっぱいだ。やっぱりメシは屋台に限る。シンガポールの食にご機嫌のマユゲは、おじいちゃんに軽く目礼してホテルへと戻った。

 「人」、「交通」、「食」。今日は触れたものも新鮮だった。明日はシンガポールの「遊」を見てみよう。


2001.2.25 シンガポール YMCAオーチャードホテル  508号室にて

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