mayugeのダラダラ放浪紀 誰が言ったか「やるらかなる」国、タイ ( Thailand )
「バンコク」篇 その1 ( Bangkok )
早くも三ヶ国目。それはムエタイの国、「タイ」! (タイも再滞在予定。タイ続編にも乞うご期待)
タイ GENERAL INFORMATION |
国旗 |
|
正式国名 |
タイ王国 Prathet Thai (Kingdom of Thailand) |
首 都 |
バンコク (Bnagkok) |
面 積 |
514,000平方キロメートル |
人 口 |
6,060万人('99) |
宗 教 |
仏教、他 |
言 語 |
公用語:タイ語 |
時 差 |
−2時間 |
通 貨 |
バーツ(B) 1B=2.77円 ('01年2月22日) |
電 気 |
220V、50Hz |
2001年2月22日(木)午前9時、香港での宿を出て、香港チェクラップコク国際空港へ向かう。九龍駅までのタクシーを拾うつもりが、なかなかタクシーが止まってくれない。荷物を持って歩きつつちょっと裏通りに入ったところでようやくつかまった。香港では大通りなどでタクシーが客を乗せてはならないらしい。道路の端に黄色い二重線が引かれているところは、客乗せ禁止ゾーンらしいのだ。知らなくて汗かいちゃったよ。
エアポート・エクスプレスの九龍駅では、T-CAT(東京シティエアターミナル)と同様、航空会社のカウンターがありチェックインができる。ここで大きなバックパックも預けてしまえるので楽チンだ。
空港内にあるポストオフィスから日本へ送る荷物を発送後、出国手続き。そして搭乗ゲートへ。ここの空港は広いのにつくりが分かりやすく、いたって速やか。
そしてマユゲを乗せたTG631便はほぼ予定どおりに離陸、現地時間午後1時過ぎバンコク国際空港(ドン・ムアン空港)に着陸。前回、卒業旅行で来たのは1996年。5年も前か。そう言えば、着陸すると飛行機の窓から真横にゴルフ場が見えたのを覚えているな。変わってないや。(当たり前か)そんなことを考えながら腕時計の時間を、香港との時差1時間分戻す。
TG631便はゲートに直接接続されず、機外へ降りた後、シャトルバスに乗り込む。気候のもともとの暑さとエンジンの熱で異常なほどの暑さと湿気。タイに降り立った実感が湧いてくる。アライバルホールへまでは意外に遠くバスで5分ほど走った。
ほぼ同じ時間にいくつかの便が到着したようで、入国審査を待つ乗客の列は長くのびている。マユゲが審査官のいるカウンターの中では一番奥の列に並んでいたところ、さらに奥のカウンターがオープンするようだった。ラッキーと思いつつそちらに移ると、中国人観光客の団体がいっせいに我先にと走り出してきた。その中のひとりが、平気でマユゲの前に割り込んでくる。ふざけんな、この野郎、と思い、「HEY!」と怒った声で言ってやると、しばらくモジモジしていたが、元の列の仲間がいるところへ戻っていった。まったくどこに行っても中国人はマナーが悪い。公共の場所で大声出したり、はしたない笑い声をあげていたり、足を投げ出して座っていたり。本当に自分たちは世界の中心だと思ってやがる、ったく。マナーの悪さ1、2位を争うのが日本人と韓国人。人の振りみて何とやらだからな、気をつけないと。
ドン・ムアン空港から市街へはエアポート・バスを利用。前回卒業旅行時は、初めてだったということとオノボリさん的興味から、世界中のバックパッカーが集まる、かの有名な安宿街、カオサン・ロードに泊まったのだが、今回は、宿泊地の狙いを「サヤーム・スクエア」周辺に定めた。市街地へはA1からA4までの四つのルートがあるうち、「A4」のバスを待つ。20分ほど待つとバスが到着、さっそく乗り込む。
車内はしっかりエアコンが効いていて、前の席との間隔広く、いたって快適。しかし出発を待っていても後からは誰も乗ってこない。結局ここ第一ターミナルからの乗客はマユゲだけ。おおー、これだけ広いスペースひとり占めなんて、なんか悪い気がするなー。第二ターミナルで乗ってきた客も二人だけ。30分間隔で運行してるっていうけど、元とれんのかね。
ふと車内の一番前にあるプレートに目をやると、なにやら運転手の名前らしきものが書いてある(写真右)。
「サムルアイ・インチャムナン?」 。……サムライ? ……侍!?
そのわりにはチャラチャラした兄ちゃんである。いいか、侍ってのはなぁ、と説教しようかと思ったが、実際自分も分かっていないのでやめた。
バスは空港を出るとすぐに高架式の高速道路に乗る。1996年当時はこんな立派な高速道路なんてなかった。空港からは超ローカルな市バスに、それこそ文字どおり「飛び乗った」ものだ。タイも便利になったものよのう。寝ている間もなくあっというまに到着。運転席の侍が「サヤーム・スクエアだよん」と声を掛けてくれたので、迷うことなく下車。
かたじけない。
バス停から安宿が集まっている路地までは500mほど。しかし重い荷物をもってこの暑さの中は相当こたえる。汗がダラダラとしたたり落ちる状態で、大通りに近い宿から部屋探しを開始するが、どこもいっぱいだ。安宿とはいっても、ここバンコクのゲストハウスには最近インターネットができるところが多いらしい。さすがに筆文字で「インターネットはじめました」なんて冷やし中華みたいな宣伝文句はないものの、宿のガラスには、HOT
SHOWERやLUNDRY SERVICEとならんで、e−MAILというカッティングシールが貼られていた。訪ねた宿の一階には大抵端末が並んでいて、日本人(多分)や金髪姉ちゃんたちがhotmailにいそしんでいる。これも前回とは大きく違うなぁ。経済的・工業的発展を続けるタイ王国の一面を垣間見つつ、ここでも浦島ざむらいマユゲはいたく感心。
結局路地の一番奥まったところにあるBED AND
BREAKFASTという分かりやすい名前の宿で部屋を確保できそうだった。最後のもうひと頑張りと三階までバックパックを担いで上がり、部屋をチェックする。どれどれ。驚いたことにすごく清潔。そう言えば一階のカフェテラスとフロントも掃除が行き届いていたもんな。窓がある、ホットシャワーある、エアコンある、石鹸もあるよ。おっ、バスタオルまであるじゃない。名前のわりにいろいろ設備揃ってるじゃない。テレビは要らないからこれで完璧。迷わず即決。フロントで支払いをしつつ女ご主人と話していると、宿の名前の通り宿代の中に朝食もついているとのこと。これで明日朝の朝食代も浮くな。
荷物を降ろしてエアコンをガンガンにブンまわし、ひと休み。あー、快適。ここのエアコンは結構新しいタイプ。温度設定あり、風量設定あり、ドライにもできるし、オフタイマーもある。ひどいところになると、何世紀前の冷風機?てなタイプもあるので、意外な「当たり宿」に少しうれしくなる。
汗もひき、元気を取り戻したところで近場を歩いてみることにする。まずは大通りに出たところにある旅行代理店へ。マユゲは香港でゲットしたタイ航空香港〜カトマンズ往復チケットのうち、ここバンコクでストップオーバー(途中降機)し、マレー半島縦断を目論んでいる。しかし台湾でのパターンとは逆に、今度は先にエアで半島の先端シンガポールに飛び、復路は列車などでのんびり戻ろうとしているのだ。まずはそのシンガポール行きの片道航空券を入手せねば。これまたエアコンの効いた店内に入って話をすると、国際航空券は奥のカウンターにて取り扱うとのこと。そこにはしっかりもののおばちゃん、といった風体の女性がいて「May
I help you?」と声を掛けてくれた。
ガルーダ・インドネシア航空やインディアン・エアラインズなど、超格安の物件もあったのだか、フライトが週に一便だったり予約の電話を入れても満席だったりとなかなか思うようにいかない。結局やや高めの名門シンガポール航空(SQ)で行くことにした。それでも日本円で15,000円程度。そう言えば昨年の夏にマレーシアのコタキナバルに行ったときも往路はSQだったな。スチュワーデスが超かわいかった覚えがある。スターアライアンスのマイレージも貯まりそうだし、いいじゃない。おばちゃんはマユゲの様々な質問に丁寧に答えてくれて、なるべく安く行ける方法をいろいろと考えてくれた。いい仕事するじゃない、おばちゃん!Thanks
a lot, bye!
店を出ると日もやや傾き、暑さが少しだけやわらいでいた。ここサヤーム・スクエアとはバンコクの若者たちに人気のショッピングエリア。いくつかのデパートを中心にダンキンドーナツやKFCなどのファストフード店やハードロックカフェなどが並ぶ。バンコクの若者たちに混じってプラプラ歩いていると、またまたありました、インターネットカフェ。家庭やオフィスでなかなか一人一台とはいかない東南アジアのパソコン普及状況では、こうやって公共のスペースでインターネットをやるのが結構一般的らしい。かつて日本でもテレビの普及期に一ヶ所に集まってみんなで見ていたというから、似たような意味合いだ。たいていエアコンがきいているので、マユゲにとっては暑い中街歩きしたあとの格好の休憩場所となる(ただしたいていNO
SMOKINGだが)。ここで日本からのメールを読んだり、リベンジャーズのホームページ掲示板を覗いたりして涼むわけだ。いやーそれにしても、hotmailは便利だわ。最近のバックパッカーは肌の色は違えどみんなhotmailアドレスを持って各地で故郷の友人たちと「会話」している。約1時間やって100B(バーツ)。日本円で約280円といったところか。充分楽しめるし、休める。
さて今度は有名な歓楽街パッポンストリートへ行ってみることにする。ここにはゴーゴーバーなどあやしげな店が連なっているというが、気をつけてさえいれば見てまわる分には危険度は低そうだ。さっそく近くで客待ちしていたトゥクトゥクの運転手に声を掛ける。例によって「ふっかけ対
ねぎり」の攻防戦。
「パッポンまでいくら?」
「90B」
「たっかいよ、じゃあ乗らない」
「Wait!Wait!Wait!Wait! マスター! 待って! 75Bでどう?」
「全然ダメ、お話にならない。マジで他行くわ」とわざと歩き出す。
「Hey!! Master! 待ってくれ! いったいいくらなら俺のに乗るんだい? 言ってくれ。」
「50B」
「そりゃないよ、マスター、60Bでどうだい」
「ノー、50B」
「分かったよ、50で行こう!」
一見、理不尽な値切りに見えるが、距離からすると相場の値段なのだ。観光客、とくにジャパニと見るととにかくふっかけてくる。こんな交渉はもう慣れっこになってしまった。現在プータローのマユゲ、法外な値段は許さない。
さてその有名なパッポンストリートに着いてみると、観光客と客引きですごい熱気。通りにはみやげもの屋の屋台が所せましと並んでいる。南国気分の演出のためにアクセサリーでも買ってみるか、と観光客がごった返す道をスリに気をつけつつ物色する。いくつかの店で値段を聞いて交渉をしながら相場感覚を養いつつ、お目当ての、イルカ型のシルバーの枠に小さなブルー・ストーンが挟まった、かわいい飾り付きのネックレスを置いている屋台へ。さっそく交渉が始まる。
向こうの切り出し値、1,000B。こっちの初期設定値、300B。カーンとゴングこそ鳴らなかったが、それぞれいろいろと言い分を口走りながら戦いは繰り広げられた。じゃあ、チェーンをシルバーじゃなくてレザーにしたらいくら? もともとレザーが欲しかったのだが、ものは言い様。向こうは向こうで「ソン、スルー」という日本語を連発。ここの屋台店員みんなの共通語らしい。結局350Bで落札。約1,000円。きっと原価100円くらいのもんなのだろうが、他の店での店員側の反応を見ていても、これがいいとこ、といった様子。やり取りも楽しめたし、OKでしょ。
さらに通りを練り歩くと、ありました、あやしげな店が。いわゆるゴーゴーバー。舞台の上で、お姉ちゃんが水着姿で踊っている。卒業旅行で寄ったプーケットにもあったな、こんな店。客引きの兄ちゃんがこれまた共通語で話しかけてくる。「ミルダケ、シャチョウ!」
No, thank you!と言って通り過ぎたものの、短パンすね毛出し、Tシャツ、サンダル姿の若いヒゲ面男つかまえて、「社長」はないよな、と思うと笑えた。
帰りもトゥクトゥクに乗ってサヤーム・スクエアへ戻る。帰りも50B。ご存知の通りトゥクトゥクとは、原付程度のバイクの後部が、二人掛け(卒業旅行のときはそこに無理矢理5人乗ったこともある)座席になっている三輪の乗り物。それでも結構なスピードが出るので、夜風が気持ちよく頬をなでる。
運転手に礼を言ってトゥクトゥクを降りると、歩道橋の柱のたもとで、タイのダラダラ・ブラザーズが待っていた(写真左)。
きっとここが涼しくて気持ちいいんだろうな。
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